何だか "因縁" めいたものを感ぜざるを得なかった。
今日は、念のためと思い、事務所近くの総合病院で診てもらうこととした。
ヘンな逆説だと思えたが、病院へ行くというのはいくらか元気になってから可能となるもののようだ。本当に具合が悪いと、病院に向かったり、そこで順番を待ったりすることとてできない。その煩わしさに抗して病院へ行くというのは、やはり体力がそこそこ回復してきたからということなのかもしれない。
また、この後こじらせないための "つっかえ棒" 的な気分もあった。結局、ほとんど別条のないところまできているとのことで、まずは安堵した。
そんなことよりも、若干驚いたのは、その病院の待合室で待ちながらTVに目を向けていた時のことであった。臨時ニュースとしてスーパーインポーズで流された地名が "妙に懐かしいもの" であったからだ。
<大阪市東住吉区矢田の大和川河川敷......>
そこは、自分が10歳の時東京に出て来る直前まで住んでいた地域だったのであり、また<大和川河川敷>という場所も、親の目を盗んでは悪童同士でしばしば遊びに行った所だったのである。夏場などは、 "命知らず" にも子どもたちだけで川原の浅瀬で泳いだりして、そうしては爽快な気分を味わったものであった。
ところが、この "妙に懐かしい地名" は、何とも悲惨な事件が起きた場所として報じられていたのである。
<小6男児、「基地ごっこ」の穴に埋まり死亡 大阪
27日午後11時10分ごろ、大阪市東住吉区矢田7丁目の大和川河川敷で、近くの同市職員※※※※さん(41)の長男で市立矢田小学校6年の※※君(12)が土中に埋まっているのを、「子どもが帰ってこない」と家族から110番通報を受けて捜索していた東住吉署員らが見つけた。※※君は病院に運ばれたが、死亡が確認された。この日の朝から「基地ごっこ」で掘り進めていた穴に埋まっていたといい、大阪府警は土砂が崩落して生き埋めになった可能性があるとみて調べている......>( asahi.com 2008年03月28日 )
このところ、どういうものか<小6男児>にまつわる悲惨な事件が報じられる結果となっている。冒頭の感想、「何だか "因縁" めいたもの」というのは、そんなことや、自分にとっての "妙に懐かしい地名" が飛び出したことからきているのかもしれない。
しかし、こうした事件を通して痛感することは、現代という時代環境は、日常生活というものが、実に "危うい場面と隣り合わせ" とさせられていそうだという点である。
いや、日常生活の環境というものはいつの時代もそうであったのかもしれない。ただ従来は、同時に、結構、伝統的な "柔軟な仕組み" のようなものが、埒外な悲惨さを上手く回避させて来たようにも見える。
例えば、今回の事故にしても、ひとつ思うのは、その点なのである。もし、少年たちが地域で遊び仲間の集団というものを、年齢的に縦横両方向で形成していたならば、今回のような遊びの危険くらいはコントロールされていたのではなかろうか。
「おいおい、こいつは崩れてきそうだぜ!」
と警戒する年長の仲間がきっといたと思われるのだ。自分の少年時代を振り返る時、そんな記憶が蘇ってくるのである。
ところが、昨今の日常生活の環境は、どうもヘンである。その "近接した危うい関係" をうまく往なしてしまえないでいるような硬直した、そんな環境が、次々ととんでもない悲惨さを生み出しているような気がするのである。
これは、 "生活文化の崩壊" とさえ呼べるような事態が進行していると言えるのかもしれない...... (2008.03.28)
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