社会的に何か不祥事が起こされると、記者会見で当事者周辺の者たちが "謝罪" もどきを行うのが常となっている。
しかし、その "謝罪" もどきが与える印象は、 "逆効果" であることの方が多いようである。被害者ならずとも、一般国民でさえ不快感と苛立ちを刺激されるだけというのが、どうも一般的であるような雰囲気ではなかろうか。
つい先日も、土浦で発生した凶悪事件で、警察当局が記者会見を行っていたが、これなぞは、当局による "謝罪" もどきにすらなってはいないと感じられた。完璧な "官僚作文" を平然と読み上げることによって、無内容なメッセージ(?)を形式だけで押し通そうとする姿は、まるで化石かシーラカンスでも見るような思いがしたものであった。
今どき、こうした場面が通用すると平然として信じられているということが、非常に奇異に感じられたということなのである。多分、警察当局の日常的な組織実態にあっては、何ら奇異なことではないのかもしれない。むしろ、ごくごく自然なことなのであろう。
一切の人間的、個人的な感覚を押し殺して、毒にも薬にもならないような "官僚作文" 的会話をするということが、何ら違和感を与えない、そんな組織環境がそこに現存しているに違いないと推察させられたのである。それらは、 "法律的厳密性" の課題とは似て非なるものであろう。
そして、それが、現代のマス・メディアの中で唐突に露にされると、まるで、古い地層の断面に露出する化石のような、そんな印象を与える......、ということになるのだろうか。
ただ、こうした人間的会話の形骸化は、何も警察や自衛隊といったような規律重視の組織だけに限られたことでもなさそうである。これに関してすぐに思い浮かべることができるのは、言うまでもなく毎度辟易とさせられる "国会答弁" だということになろう。
この間も、ガソリンの暫定税率問題を巡っての国土交通省の官僚の答弁を見聞することになり、上記の実情とまったく同様の感想を抱かされたものであった。よくもまあ、冷静さにかこつけて "能面" かぶりで "能" を演ずるかのような仕草ができるものだ、と驚嘆したものであった。
そして、さらに問題であり情けないのは、現在の福田内閣が、紛うことなくこうした官僚たち、官僚機構によって徹頭徹尾、 "操り人形化" させられている、ということなのではなかろうか。多分、今日あたりも報じられていた、低迷する内閣支持率という世論調査の結果が語っているのは、ほとんどパーフェクトな形で官僚機構に呑み込まれているこの内閣の情けなさに対する国民の危惧ではないのかと見える。
"ねじれ国会" によって何も決められないのがどうのこうのと、評するマス・メディアもあるが、実はそうではなく、官僚機構の意向を何の努力もなく "垂れ流す" かのような国民不在の内閣運営が、国民の不快感を刺激しているのではなかろうか。
正直言って、国民の目から見える現在の官僚機構(防衛省、厚生労働省、国土交通省 etc.)は、問題点が露呈される度に、信頼感が損なわれ、もっと厳しい "監視" こそが必要なのだと国民に痛感させているとしか見えない...... (2008.03.24)
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