のであろうか。結局は、自分であり、さらに言えば自分の "頭" 以外ではなかろう。にもかかわらず、 "頭" は誰かによって "使役" されるがごとく表現される。
しかし、それでいいのだと思える。 "頭" というものは自動的に働くものというよりも、"使われる" もの、いわば "被・使役" 的なものと見なされて然るべきなのであろう。
のっけから何をわけのわからないことを言っているのかと思われそうだ。言いたいことは、要するに、"頭"、"脳" というものは、一見、パーフェクトな "自動装置" 、あるいは "司令官" のようでありながら、実はそうではなくて身体の五感(五官)をはじめとする身体環境にしっかりと依存して "働かされている" ところの、律儀な "ワーカー" でありそうだ、ということなのである。
しかも、 "律儀な" という形容も無視されてはならないようである。身の程を良くわきまえているようで、身体の五感(五官)に基づく神経からの信号には何はさて置いて反応するようである。もし、五感(五官)からの便りが何も無くなった時にだけ "脳" 自身は "繰り言" (=思考)を始めるのだそうである。
思考というのは一見生産的なもののように見なされながら、実は "脳" はヒマな時に繰り広げる、まあその意味で "繰り言" とは良く言ったものだが、そうした超現実的なもの、余計なものだと括るそんなシニカルな考え方があるようだ。
こう書くとやや距離を置いたような書き方をしていると思われそうだが、実は、こうした考え方、やや "脳" の働きというものを突っ放したような考え方に自分は好感を持っているのである。 "脳" を神秘的に、えこ贔屓してみたり特別扱いをしたりせずに、身体の他の部分たちと同等の "クラスメイト" なのだと見なすことが、 "脳" 自身にとっても一番良さそうだという気がしているのである。
だから、他の "クラスメイト" たちから切り離して、 "脳" だけを隔離して "強制労働" 的に働かせても、ろくなことにはならないのかもしれないと想像したりもする。むしろ、十分に身体全体を活動させながら、それと並行して "脳" 活動を展開させるのが最も健全かつ効果的であるのかもしれないと考えている。
かねてより、自分は、脳科学者・茂木健一郎氏の "脳" に対する基本的視点は以上のようなものではないかと共感を覚えてきた。たぶん、同氏が脳科学者として人気を博している理由もまた、決して "脳" の神秘性をやたらに強調するのではなく、他の身体部分との密接な関係こそを説く点が一般人に受け容れられやすいからなのかとも思ってきた。
昨夜も、とあるTV番組で、なるほどと感じさせられるトークをしていた。ひとつは "記憶" を効果的に進める方法であり、もう一つは、どうしたら "集中力" を高めることができるか、という方法であった。
前者については、これまでにも多くの者が指摘してきたように、身体全体の感覚を重ね合わせて "記憶" 活動を行うならば長期記憶に残りやすいというものであった。茂木氏は、この方法を "鶴の恩返し" になぞらえていたのがおもしろい。つまり、そのドタバタした作業は、決して他人に見せたくないものだからだとか......。
やや感心したのは、後者で指摘された方法、とにかく "いきなり、行動的に始めてしまう" というラディカルな方法であった。ここで、前述したところの、 "脳" の性癖たるヒマだと "繰り言" を始める......、という点を思い出したのであった。
人は、集中力を高めようとする際、、五感(五官)を閉ざして、 "脳" への神経信号をシャットアウトすれば、集中力が高まると考えがちである。しかし、これは往々にして失敗するのだと説明された。
確かに、五感(五官)を閉ざして無為のスタンスに入ると、どういうものか逆に、妄想が走馬灯のように現れ、収拾が付かない状態となりかねない。眠れない入眠時に、何百回も羊の数を数えてしまうことと似ているのかもしれない。
で、茂木氏は、むしろ、 "いきなり、行動的に始めてしまう" ことがお勧めだと言っていたのである。何かをまとめる作業に集中しなければならない場合、気分を集中させてから作業を始めようとしてもそれは難しく、むしろ、身体を使うようなかたちで "いきなり、行動的に始めてしまう" ならば、虚を衝かれたような格好で "脳" は余計なことを考える( "繰り言" を始める)ヒマも無く、集中体勢に入ってしまうのだと......。
実際、自分は、毎日この日誌を書く際に、ウダウダと考えようとすると収拾が付かない状態となり、むしろ "エイッ、ヤッ!" と書き始めると意外とまとまってゆくことを経験している。
また、現在のような "不景気" の時代には、働き手たちもルーチン・ワークが無く、手持ち無沙汰でいろいろと考えあぐねることが想像されたりする。しかし、この場合、大半の "考えあぐね" は、 "下手な考え休みに似たり" なのだろうと思える。こうした "不毛さ" や "非生産的状態" に陥らない秘訣はと言えば、 "いきなり、行動的に始めてしまう" こと以外にはなかろう...... (2008.04.30)
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