先日、またまた "出会い系サイト" で知り合った若い女性が行方不明とかの悲惨な事件に巻き込まれたようだ。そんな報道に接すると、やはり、 "どうしてまた......?" という疑問が込み上げてきたものだった。
そんな時であった。とある著作を読んでいて、以下のような叙述に出会ったのだ。
<――高校を卒業し、しかし就職先はなく、将来に何の夢も持てない。周囲の同級生や先輩、後輩のほとんどもフリーターで、つきあっているいる彼氏彼女もやはりフリーターという状況の中では、自分が目指すべきロールモデルどころか、尊敬できる人物さえ存在していない。周囲には田んぼと寂れた工場、それに街道沿いにぽつんぽつんと立つコンビニエンスストアしかなく、テレビに出てくるような華やかな都会の生活にはまったく無縁だ。そんな生活の中で若者たちはリストカットし、同じような悩みを持つ登場人物が描かれるケータイ小説に溺れ、しかし小説のイメージと現実のギャップに再び落胆し、行き場を失っている。
彼らにとっては携帯電話は、確かに見える外界につながる唯一のデバイスだ。だからあれほど批判されているにもかかわらず出会い系は隆盛を誇り、個人情報を出会い系に垂れ流してしまう人は絶えない。......>(佐々木俊尚 著『ネット未来地図』。以下引用はすべて同じ)
この叙述は、昨今の "ネット状況" の特徴が次のように指摘された後で書かれていたのである。
<......携帯電話の利用者層の裾野が広がることで、インターネットの世界に新たな社会区分が生まれてくる。......携帯電話は「地方」「十代後半~二十代前半」「フリーター」という言葉で象徴されるような若者たちを、新たにウェブ2.0の世界に引き込みつつある>と。
その傾向は、<「都会」「二十代後半~三十代」「ビジネスパーソン」といったキーワードでくくられるような人たち>が、PCウェブ2.0を支えている現状に対する対極に見てとれるというのである。
ここで、<「地方」「十代後半~二十代前半」「フリーター」>というキーワードから、この間頻繁に指摘され続けてきた "格差社会" という歪みを思い起こすことは決して唐突なことではなさそうである。
冒頭の "出会い系サイト" 事件にしても、問題の核心は、アブナイという周知の事実を繰り返して強調するだけでは何ら奏功しないのかもしれないという点にありそうだ。<彼らにとっては携帯電話は、確かに見える外界につながる唯一のデバイスだ>という淡々とした事実にこそもっと目を向けるべきなのであろう。
そして、能天気な凡人たちがこの点を想像だにできないのに対して、 "犯罪者(予備軍)" たちの方はしっかりとこの点を "洞察" し切っているところに、悲劇のリアルさがあるのかもしれない。
なお、 "出会い系サイト" 事件の悲劇の温床には、<外界につながる唯一のデバイス>としての携帯電話という手段の問題があるだけではなく、筆者は他の箇所で示唆しているのだが、<携帯インターネットでは「つながり」系が中核となっていく>という点も見過ごせない。
もともと<インターネットのサービスには「情報収集」と「つながり」という二つの方向性が並立して存在してきた>のに対して、<携帯インターネット>のジャンルというものは、 "出会い系サイト" を典型として、最近の、個人のひとり言を表出させる<トゥイッター>も、また中高生に人気がある自己紹介サイト<プロフ>も、<「情報収集」の面はきわめて希薄となり、「つながり」が前面に出る>と分析されている。
この辺の事情は、携帯電話というパーソナルな機器と「つながりの社会性」(社会学者/北田曉大)との相即関係として説得的に説明されている。
<従来のコミュニケーションが正しく情報を伝達することを目的に、送り手と受け手の間の誤解を減らすためにさまざまなルールを作り上げていた(秩序の社会性)のに対し、「つながりの社会性」では、コミュニケーションそのものを自己充足的に維持することが最も重視される。コミュニケーションの内容やそのコミュニケーションでやりとりされる情報はどうでも良くて、つながっていること、そこでどのようにつながり、どういうつながり方をしているかが大切な要素となるのだ>
とかく、現代社会は、 "情報収集・秩序の社会性" などの面が過剰に強調され、<コミュニケーション圧力>とでも言えるものが高まり、コミュニケーションそのものに対する "疲労感" さえ誘発させているのかもしれない。みんなが、そっとしておいて欲しい、というような手負いの獣もどきになっているのであろうか......。
そんな状況下で、圧力感のない「つながり」、純化された「つながり」に走ってしまう衝動というものは、決して理解不能なものではなさそうではある。
ただ、それが "仮想" でしかないことをどこかで認識しておかなければ、不測の不都合や悲劇に直面してしまうということなのであろうか...... (2008.04.23)
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