人の悪癖は、 "生理的依存傾向"と"心理的依存傾向" とが絡むもの ......

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  "禁煙" の方は、すでに一ヶ月が経過している。安定し始めたと言えばそんな感じであるし、何かと不安定だと言えばそうも言える。ある医者に言わせると(あまり医者にとやかく言わせたくはないものだが......)一ヶ月も経過すればイライラのような禁断症状はないはずだというが、自分の場合は、必ずしもそうでもない。
 前にも書いたが、もともとが "癇癪(かんしゃく)持ち" であるからそうなのか、 "禁煙" のためにそうした気分となるのかはよくわからない。きっと、イライラや、怒りっぽい気分に襲われたた時、かつてはタバコに手を出し喫煙することで往なしていたのかもしれない。喫煙が、 "癇癪(かんしゃく)持ち" な自分を覆い隠していたのかもしれないと思える。
 こういう事情も含めて禁断症状というのかもしれないが、このところ、時々、無性に怒りっぽい気分となることがあると言えばある。

 ところで、物の本によると、 "禁煙一ヶ月" はまだまだアブナイとかである。
<次なる目標は三ヶ月です。禁煙については薬物依存としての研究から、三ヶ月以内に失敗してしまうことが多いことがわかっています。三ヶ月が要注意期間ですので、この期間はとくに油断しないで過ごすようにしましょう>と書かれてあったりする。
 せっかくここまで "積み重ねてきた我慢" をむざむざと台無しにはしたくないと強く意識している。しかし、通りすがりの者が、タバコを吹かす光景に出会ったりすると、一方では、 "身体に毒なのに......" と悟性がつぶやくとともに、 "フカ~ッ" と一服吹かしちまったらどんなにかいい気分となるものか......、と誘惑されるような気分ともなる。アブナイ、アブナイなのである。
 <薬物依存>の類が、時間経過とともに次第に克服されて行くということは、身体側の "生理的依存傾向" が次第に正常化されてくるという面はもちろんあるのだと思う。それと、もうひとつは、時間経過とともに、多くの "試練" のような場面や状況をクリアすることによって、ヘンな言い方だが "誘惑に対する自信" がついてくる、というような面もありそうな気がしている。 "心理的依存傾向" からの自由ということになるのかもしれない。
 今までならばタバコに火をつけたであろう状況、例えば重篤なイライラに見舞われた時、あるいは、悩ましい問題を考え続ける時、または酒を飲んで談笑したりする時、はたまた独りさびしく旅の途中で佇む時......、そんなふとタバコに手を出してしまうようなさまざまな状況をそれぞれひとつづつ "往なす" ことができた時、その時こそタバコと縁を切る自信がついてくるというものなのであろう。そして、そうしたいろいろな状況のバリエーションに遭遇するためには、相応の時間経過が必要だということになるのではなかろうか。
 だから、まだまだアブナイというわけであり、まただからこそ "遣り甲斐" があると言えないこともないのである...... (2008.04.12)

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