"ピカピカの一年生" ではないが、見るからに "ピカピカ" に舗装整備された道路をクルマで走らせる時、相応の快適な気分となれるものであろうか。
しかも、つい先月の年度末にバタバタと道路整備工事がなされた、そんな道路であることを思い出さされるとなおさらだ。快適な "感情" なんぞは吹き飛んでしまい、ただひたすら、これだけの整備工事をするのにどれだけの税金が使われてしまったのだろうか、という世知辛い "勘定" に走らされてしまうわけである。
そして、そんなことを考えたくはないものではあるが、 "要領のいい" 土木建築業者がどれだけの "上澄み" を手にしたのであろうか......、とやり切れない心境となってしまうのだ。
問題は、 "公共投資" についてなのである。
自慢にすることでもないかもしれないが、当社のわれわれは、過去においてこの "公共投資" には一切関わってこなかった。ソフト会社の中には、巧妙かつ執拗にこの "公共投資" 的領域に接近し、この領域での仕事量を維持・拡大するところもある。
わたしが以前、わらじを脱いだ(?)とあるソフト会社の社長なんぞも、 "公共的領域" の仕事を推進していることを "自慢" にしておられた。公共的組織団体から仕事を受注しているのだからドーダ! というつもりなのである。まあ、そういう発想と解釈も成り立たないわけではなかろう。
ただ、私の知る限り、ソフト会社が "公共事業" に関与していく経緯は、技術的に優れていたからという文脈なんぞではなく、要するに、伝手(つて)を生かした喰い込み営業ということではなかったかと思える。いや、もちろん広い世の中には、技術的に優れていたからという晴れやかなケースも当然あるだろう。
しかし、実質的に技術的な優良企業は、オープンな民間市場でも十分にやって行けるし、 "公共事業" へ参与はいわば企業の社会貢献的な活動という意味合いを持たせているのかもしれないのだ。
だから、 "公共事業" をことさらに攻略しようとする企業とそのスタンスには、何か "特殊な動機" が潜んでいるように見えるのである。
現在でもこの領域の契約においては、 "一般入札と随時契約" というようなグレーゾーンの問題が絡んでいたりする。過去、こうした不透明な関係が温存、継続されて来たであろうことは、知る人ぞ知るところだと言うべきなのかもしれない。
上述の "ドーダ!" の社長も、T大学同窓の官僚各位に対するこまめなアプローチを欠かさなかったことを思い起こす。そうしたアプローチによって、 "ドーダ!" と誇れるほどの仕事量を "公共事業" 領域から確保していたのであろう。
今、 "公共事業" は微妙なステイタスにあるのかもしれない。
地方経済に見られるように、一方ではこうした不況色が濃厚な経済情勢にあっては、 "公共投資" というものが益々渇望されているという面があろう。
だが、もう一面では、地方財政もそうであるし、中央政府の財政も同じであり、全般的に公共財政の逼迫が深刻化している。無い袖は振れない、ということにもなるが、ここで留意されるべきは、 "公共事業" の "低コスト化" なのではなかろうか。
既に、 "高コスト体質" の役所業務を "民営化" すべきだという議論も生じているわけだが、それ以前に、外部民間業者に対する "公共事業" 発注額は、ドラスティックかつドラマチックに "徹底高圧縮" されるべきではないかと思う。
"公共事業" によって、民間経済が活性化するという推移はあって差し支えないと思う。ただし、 "ジャブジャブ" の甘やかし投資は、まったく逆効果でしかない。質と価格との両面を、民間ベース以上にシビァに問うような、そんな "公共投資" こそが、 "固太り" の経済状況を刺激して行くのではなかろうか...... (2008.04.09)
コメントする