"想像力" なしで、 "総合的な視界" は成立するか......

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 昨日のニュースで、 "サイクロン" の被災で生き残ったミャンマーのある村の小さな子どもたちが、肩まで水に浸かりながら食性の野草を採っている光景、そしてそれらだけの食卓を囲みながら黙々と食事をする光景が報道された。その中の小さな男の子の表情には、悲運に嘆き悲しむものはなく、生きようとする人間本来の率直さが見てとれた。それを観ていて思わず目元が熱くなった。
 たとえ、食卓とは言えないような貧弱な食べ物でしかなくとも、遺された者同士でそれらを囲む人間としての「文化」とでもいうものが、生きる姿勢をしっかりと支えているように見えたのだった。
 同じニュースでは、四川大地震で被災した子どもたちの姿も報じられた。肉親たちを亡くしながらも、運良く生き残った者たち同士で助け合っている光景である。
 遥か遠方の国々での出来事であっても、ハイビジョン映像のような現代のハイエンドなメディア技術は、その出来事の悲惨さはもとよりそこでサバイバルしようとする者たちの張り詰めた表情までを "リアル" に伝え尽くす。
 確かに、こうした自然災害だけではなく、地球上で頻発している悲惨な出来事を "リアル" に受けとめてゆくことはこの上なく辛いことでもある。空間的な距離にかこつけて、それらの事実性を黙殺してしまおうとする "衝動" も生まれなくはない。
 いやむしろ、自分も含めて、こうした "衝動" を野放しにしつつ、自身がよって立つ世界の "同時代性" の側面から眼を逸らそうとしているのが、残念ながら一般的現実なのかもしれないと思えた。

 グローバリズムという言葉を口にしながらも、それはエコノミック・アニマルにとっての経済環境の土俵に関しての了見の狭い話でしかなさそうである。このグローバル(地球)や、人類がまさに "同時代的" に迎えている悲惨な出来事をも含む "グローバル時代" の「総合」的視野、視界が、何と貧弱なことかと気づかされる。もちろん他人事ではなく、自分を含む現代の日本人の多くに当てはまってしまう大きなエラーであるに違いない。
 また、そんな「総合」的視野、視界をもって "同時代" を認識することなぞ難解過ぎて不可能だという言訳めいた悲観論も頭をもたげる。しかし、憂うべきは、それ以前にありそうだ。同情・共感や "想像力" といった人間の基本能(脳)力などが "致命的な摩滅" に瀕している恐れが大きいのかもしれないからだ。少なくとも、ハイビジョン映像が届けるリアリティに意味を付与するだけの受け手側の "想像力" が、無残に抜け落ちつつあるのが気になるわけである。

 自分は、常々、脳科学者・茂木健一郎氏の卓抜な視点に魅了されてきたが、同氏の卓抜さの根底に輝くものは、 "分析" 科学の限界に挑むことを辞さない果敢さではないかと合点してきた。他のジャンルではいざ知らず、こと "脳" の神秘に肉迫するためには、まさにその視点が必須だとの素人考えをしてきたのである。
 今日、拝読させていただいた<「総合」苦手な日本の知識人>(茂木健一郎 クオリア日記 2008/05/23「総合」苦手な日本の知識人および、 "「総合」苦手な日本の知識人" 『日本経済新聞』2008年5月21日 夕刊)は、同氏が抱える問題意識のほんの一部でしかないとは思えたが、それでも、核心的な問題指摘だと痛感させられたものである。
 常々感じ続けてきたことではあるが、われわれ日本人にとっての不幸のひとつは、この国この社会を知的にリードするはずの「知識人」たちが、まさに狭い了見でうつつを抜かしてその役割を放棄し、そればかりか、マスメディアを "占有" して人々の自由な "想像力" の足を引く傾向さえ持っていそうな点である。

<......「総合的な視点」に乏しい。それは科学界で日本人がレビュー(解説)を書くのが下手と言われることと通じる。ある研究成果が、例えば脳科学という分野で、さらには人間の知の営み全体の中でどのような位置にあるのかを議論するのが苦手ということだ。>
<世界的に評価されうる知や文化が日本にないわけではない。かつてフランスの哲学者ベルグソンがノーベル文学賞を受賞した。その水準で考えると、文芸評論家、小林秀雄の著作は早く英訳されていればノーベル賞をもらっておかしくなかった。本丸にかかわる部分で理解されるべき日本の良さはある。ぬるま湯を脱して世界の舞台に立つことから始める必要がある。>(同上より引用)

 確か、小林秀雄もまた、当時の近代科学や、文壇を<ぬるま湯>に浸った無様さだと批判していたはずであった。彼はまた、民俗学の創始者、柳田国男がその著作で触れた<木こりとその子供たちの悲惨な運命>を紹介しつつ、<きっと子供たちの魂はどこかにいますよ。ぼくがそういう話に感動すれば、きっとどこかにいるな。(「信ずることと考えること」)>(茂木健一郎著『脳と仮想』より)と、 "想像力" (仮想)の持つ意義を確信していたようである。
 茂木健一郎氏は、この小林秀雄を高く評価されているが、人間の "脳" の働きというものが、 "想像力" (仮想)とは不可分であることを凝視してのことかと推察している。
 いずれにしても、現代という時代環境は、時代の技術的成果によって、リアリティが超然として聳え立つこととなったが、その受け皿の重要な側面であるべき "想像力" を事もあろうに駆逐する気配さえ見せている。その結果、 "総合的な視界" (「総合的な視点」)の基盤がますます頼りないものとなっているのかもしれない...... (2008.05.23)













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