自宅近辺の町田街道沿いは、食べ物屋に事欠かないというおかしな特徴、ありがたい特徴がある。だから、仮に、ふいに、遠方から、いや別に遠方からでなくともいいのだが、友なり知人なりが訪れた際にうろたえることはなさそうである。その訪問客の顔と、近辺の食べ物店のラインナップとをうまくマッチングさせれば、まずまず途方に暮れることはなさそうだと、高を括っているのである。おまけに、つい最近では、デパート筋でも有名だとされてきたとある老舗格の和菓子屋さんが、つい目と鼻の先にに開店したりもした。お客さんへのもてなしに自信が持てなかった時には、そこでお土産を調達してお持ち帰り願うという奥の手まで準備してもらったことになるわけだ。
食べ物店ラインナップの中の店は、何もおもてなし向きの店ばかりではなく、ちょいとランチや夕飯用として足を向ける店も多々ある。今晩、家内と二人で向かってみたのもそうした店、 "食堂" である。
その "食堂" には、先日、ひとりで訪れたことがあった。その名も "〇△食堂" という、昭和30年代ねらいのネーミングであったため気になったのである。
どういう "食堂" なのかと言うと、まさに昔、駅前通り商店街などによくあった、カウンターに並べられたおかずの皿を自分で好き勝手に選んで組み合わせて、そして自分のテーブルへ運んで食べるというセルフサービスふうの食堂なのである。
自身で食べ物を運搬するという "自治権"(?) が保障された上に、おかずの種類の "選択および組み合わせの権利" までが保障されたそんな食堂なのである。と言っても "バイキング" システムではなく、選んだおかず類の皿はとある通過ポイントで "精算" することになる。
昭和30年代の "〇△食堂" では、客の発する「お勘定!」という言葉でやってくる店の者が、「ありがとうございます。そうしますと、焼き魚と肉じゃがとお新香......、ということで280円になります」と事後処理対応を行っていたところを、前払い方式で行うのが時の流れの違いなのであろう。
ところで "自治権" (セルフサービス)が保障された食堂というのは、しばしばお目にかかる。企業や大学などの食堂は、大体そんなところであり、 "食券" を購入することによって "自治権" というセルフサービス義務の受け渡しが行われるのが普通であろう。
そう言えば、大学院生活で名古屋に住んだ頃、大学の学食をことのほか愛用したことがあった。お値打ち価格ということもあったが、大学構内からさほど遠くないところに住んでいたこともあり、時々、家内、幼い子どもとの三人で大学の食堂で夕食まで済ますことがあったのを思い出す。それは、実に合理的な発想だったとの自覚こそあれ、奇妙なことだとはついぞ思ったことはなかった。家内は家内で夕食の手が省けるし、子どもは子どもで、ちょいと目新しい雰囲気を楽しんでいたようでもあった。今思えば、なつかしい思い出ということになる。
で、今晩は、平成の "〇△食堂" にて、そんななつかしい思い出を再現したかのような夕食をしてきたのだった。自分も家内も、海老茶色の塗りのあるトレー(盆)に思い思いのおかずの皿を載せ、最後に、「ごはんの盛り加減はいかがします? 味噌汁にしますか、トン汁にしますか?」と聞かれるチェックポイントにたどり着くのである。
テーブルで食べ始めた時、自分が「名古屋では夕飯まで学食に食べに行ったりしたよね」とつぶやくと、家内は、笑って頷いていた。
それにしても、この "食堂" の雰囲気は心和むようで悪くないなぁ......、と感じていた。遠くに見える厨房内では、白衣で身をかためた元気の良さそうな中年のご婦人たちが、てきぱきと動き回っていた...... (2008.05.25)
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