ホォーと思った新聞記事が目に入った。
<「オバマ氏は健康、禁煙続行に努力」 健康診断リポート公表>( NIKKEI NET 2008.05.30 )である。今、自分もまた "禁煙ガム" を噛みながら感心しているのである。はや、苦節3ヶ月の "禁煙" を達成しつつある状況なのである。
<......オバマ氏は大統領選出馬までは喫煙者で、それまでに何度も禁煙を試みたものの、失敗したと告白。出馬表明後は禁煙しており、今回のリポートでは禁煙ガムを使ったたばこ断ちは「成功」していると記した。......>( 同上 )
もちろん "禁煙" だけでオバマ氏を賞賛するつもりはない。だが、さすが大統領候補に打って出る者は違うと思えた。その激しい選挙戦、しかも、足元にはヒラリー氏が執拗に "すがりつく" という、あまりある苛立ちの心境が十分に想像される状況で、果敢にも "禁煙" を続けているというのはまさに立派の一言である。
"禁煙" を敢行する者にとっての "伏兵" は決して少なくない。どういうものか視界の片隅に滑り込んでくるうまそうに紫煙をくゆらせる者たちの光景、これまたどうして? と言いたくもなるようにどこからとなく漂ってくるタバコの甘美な香り......。見るもの嗅ぐもの、想像するものことごとくが誘惑の手先に変貌するのだからたまらない。
しかし、もっとも手ごわい "伏兵" はと言えば、獅子身中の虫のごとく、自身の心自体が乱れ、 "苛立ち" が増幅されてしまうことであるに違いなかろう。確かに、食後のほっとしたひと時にも、タバコへの誘惑は立ち上がってはくる。が、これは往なそうと思えばそんなに難しいことではない。
何が難しい誘惑かといって、何にせよ思い通りに事が進まないで、どこからやってくるのか "苛立ち" が、心と言わず、頭と言わず、あたかも "煙" で包み込むかのように襲って来た時、その時こそがアラームだと言うほかなかろう。
それもそのはずであろう。長らく喫煙に馴染み、ニコチンに依存してきた者たちは、ほっとした時の "一服" よりも、当然、やり切れない "苛立ち" の心境時にこそライターをカチャカチャさせ、チェーン・スモーキングにのめってきたに違いないのだ。その条件反射行動を何十年も続けたならば、 "苛立ち" が生まれない世界へでも行かないかぎりは、条件反射の "業" から逃れられないかのようである。
自分も、何度も "禁煙" に失敗し、いつぞやは、紫煙をくゆらせながらバカな思いにふけったことがあった。 "禁煙" 成就のためには、 "苛立ち" とは無縁の土地(?)に転地療養で赴くしかないか、あるいは意図的に無人島にでも漂着するしかないか......と。もちろんそんなことは、 "フーテンの寅次郎" が映画のイントロの夢場面で展開する絵空事でしかない。
がしかし、やってできないことではなさそうである。わがままを自認する自分が、3ヶ月という "危険水域" を泳ぎ抜けようとしているから言うわけではないが、 "信念がどうのこうの" と大層に力むこともなさそうである。要するに、如何に自身の "身体の習性" を騙していくのか、という戦略、いや戦術的見地に立てばいいだけのことではないか。
今のこのご時世は、人を騙すことが日常茶飯となっていそうである。それはまずかろう。しかし、みすみす "身体に毒、財布に害" とわかっている悪癖から自由となるためには、自身をとことん騙し切ることは推奨されてよかろう。その騙しの手先として加担してくれる "ワル" たちには事欠かない環境もある。 "禁煙" ガムもあれば、 "禁煙" パッチもある素晴らしい時代なのである...... (2008.05.30)
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