忙しさにかまけてしばらく放置していると、PCを介して予約で録り貯めたTV番組があっという間にHDDを埋め尽くしてしまう。
300GB~500GBの複数のHDDも、録り貯めた番組をDVDに焼き込むなりして消し込んでゆかないと、塵も積もれば何とやらで、やたらに量がかさんで手に負えない始末となってしまう。
一頃、面白がってやっていた頃には、何でもかんでも録画予約するというバカげたことをやっていた。が、そんなことをしていたのでは、後処理が忙しくてかなわないと自覚するに及び、予約自体を "精選" するようになったものだ。しかし、それでも、トコロテンのように消し込む作業なりをして "押し出す" ことを怠ると、いつの間にかHDDは満杯状態となり、新規録画不可の状態となってしまうわけだ。
おまけに、今ひとつ厄介なことが起きる。自分の場合、DVD焼きという作業もちょいと自己流の特殊な処理(地上デジタル番組の録画プロテクトに関する処理や、4.7GBディスクへの圧縮焼き込みなど......)をしているため、放置し続けるのが長期間にわたるとあろう事かその作業手順を忘れてしまいそうになってしまうのだ。歳のせいだけでなく、PCやエレクトロニクス関連のちょいと込み入った作業というものは、頻繁に行っているとどうということもないわけだが、長らく関与しないと、エーッと、これをやってから次に何をするんだったっけ......、というような戸惑いに直面するのだ。いろいろなハード、ソフトのツール類を組み合わせて処理を進めていると、頭の中にかなりムリのあるイメージ連関が作り出されるからなのかも知れない。
以前、<現在のIT環境の諸々は、やはり "体感" 的に認識しなければならない ......>と題することを書いた。(c.f.2008.04.19)
その理由めいたものは次のように了解していた。<現在のIT環境の諸々は、やはり "体感" 的に認識しなければならないようだ。まあ、そもそもPCというものが理屈や理論だけではアプローチし切れない存在であったことの延長だと思えばいいのだろう。理論的認識が不必要となったと言っているのではない。理論的認識の水準だけではない、感覚的要素、行動的要素が、システム空間で重い比重を占めるようになったために、多様な能力を駆使して、まさに "体感" 的に認識してゆかなければ事実全体を了解し切れないのかもしれない>と。
この点には相変わらずこだわり続けている。IT環境以前の日常的な物理的空間、環境というのは、目に見えて実感的に納得できる因果関係があることによって、行動も記憶も相応に単純だったかと思える。別に難しい "知識や理論" の装備がなくとも、その場その場で事態の推移が掌握でき、また手軽に管理することもできたはずだ。
しかし、IT環境というものは、幾重もの "知識や理論" の層によって "ブラックボックス" 化されているため、人間の動作としてのインプットと、IT機器、環境が吐き出す処理結果としてのアウトプットとの間を、従来の人間の感覚や想像力で橋渡しをすることが極めて難しくなっていそうである。この点は、たとえ "知識や理論" を相応に身につけたとしても、避けられない問題のように思えるし、そもそも、それが一般的なユーザに要求されるというのはかなり非現実的だとも思える。
この辺の事情が、<多様な能力を駆使して、まさに "体感" 的に認識してゆかなければ事実全体を了解し切れないのかもしれない>と想定した理由だったのである。
「習うより慣れろ」という表現はいかにもイージーな響きを伴う。が、しかし、無数の "ブラックボックス" パーツで打ち固められた現代の日常環境にあっては、「習うより慣れろ」の指針を避けることは不可能であるのかも知れない...... (2008.05.31)
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