振り返ってみると、この日誌も8年目を迎えている。しかも、どうでもいい自己満足というか、そうした無骨な流儀でしかできなかったというか、 "無欠勤" の "皆勤賞" ものであり、一日も穴をあけることがなかった。ちなみに、今日の分は、2554日目となるようだ。
しかしねぇ、数が多ければいいというものでもなさそうだよね。そりゃ、『放浪記』上演回数1900回達成の森光子、『屋根の上のヴァイオリン弾き』625回の森繁久弥、『ラ・マンチャの男』1100回の松本幸四郎といった名優たちの上演回数ならば、ホホーということにもなろうが、自分のような半端者が毎日ウダウダと駄文を書いたからといって何ほどのこともないわけだ。
もっとも、 "千日" を迎えた時に、比叡山の酒井雄哉阿闍梨(あじゃり)が、二度の「千日回峰行」を達成されたことを引用していたところをみると、自分の場合は、ほとんど宗教的次元での、要するに "主観的意味" だけをもっぱら追っかけている気配なのかもしれない。加えて、最近では、その連続回数すら意識しなくなってしまい、酒井雄哉阿闍梨に並んで(?)「二千日回峰行」を達成したこともほとんど意識せず、その流れで「三千日回......」を目指そうなぞという目標意識とて自覚しているわけでもない。毎日淡々と書くようになってしまったというのが現状であろうか。
気負った言い方でもなく、まさに習慣となり、書くことが血肉となったと言えるのかもしれない。とはいっても、毎日ラクに対処しているということではない。相変わらず、 "何を書くか" という点については、変わらない苦痛を味わい続けている。たぶん、この点に関しては、何千日を迎えても同じことなのかもしれない。
ところで、昨今は、 "ブログ" というスタイルが、いろいろな観点で流行している。
自分の場合のようなこの "(公開)日誌" もそうした "ブログ" の仲間のように受けとめられないこともないが、かなり異なっていると見た方がよさそうだ。
上にも書いたように、自分の場合は、 "主観的意味" が突出していそうだからである。もちろん、読み手を意識しないというような傍若無人ぶりで走り書いているつもりはないが、それにしても、 "主観的意味" に居座っていると言えよう。
時々、メールで "ご意見" をいただくことがないではないが、読み手の方々と密なる交流をするといった感じでないことは確かだろう。
この点は、昨今の "ブログ" というスタイルが、 "ウェブサイトとしての構造" からいって、読み手による "コメント投稿" という仕組みを持っていたり、他のサイトとのリンクを機能させる "トラックバック" の仕組みを持っている、そんな技術的環境で成り立っていることとの違いでもありそうだ。
そうした、昨今の "ブログ" が問題なしとしない点については、先日も書いた。
[<日本のブログの4割は「スパム」 ニフティが調査
大手プロバイダーのニフティは、日本の全ブログ記事の約4割が、読者にとってはほとんど意味のない「スパムブログ」だとの調査結果を発表した。アフィリエイト収入や特定のサイトへの誘導を狙って、自動的に頻繁に更新されるのが特徴だという......>( asahi.com 2008.03.26 )
ここで言われている「スパム」とは、検索エンジンスパムのことであり、Google や Yahoo! 等の検索エンジンで自身のウェブサイトが検索結果の上位に表示させるように、何らかの仕掛けをすること、および施されたウェブページを言うようだ。
つまり、今や大流行のブログというのも、そのコンテンツがどうこうというよりも、 "商品広告料" 稼ぎのシステムである<アフィリエイト収入や特定のサイトへの誘導>だけがターゲットとされているような、そんな実情もありそうなのである。](c.f.2008.04.22)
確かに、何かキーワードを入力して検索をしてみると、 "ブログ" 記事にヒットしてしまい、読むに耐えない文面に恐れ入ることも少なくない。
ただ、インターネットという仕組みの中で活動しているわけであるから、他のサイトとのリンクや、ネット環境下での他の人々との相互関係はあって然るべきだろうとは考えている。
そんなことで、今、流行の "ブログ" の技術環境を試してみようかとも考えている昨今なのである...... (2008.05.07)
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