"ブログ" 記事をターゲットにしてキーワード検索を行うと、無数の個人ブログと行き交う。時々、素晴らしいコンテンツを満載した労作に出会うこともある。自分は、写真、とくに風景写真に目がない方なので、足を使って、一枚一枚丹念に構図と露出を決めて撮ったと思しき写真集を閲覧できると感激する。(ちなみに、最近見つけたものでは、『鉄道のある風景』 http://nekosuki.org/landscape/index.htm#top が素晴らしいと感じた)
だが、逆に、早々退散したくなるようなブログも少なくないのが現実だ。率直に言えば、他人様の家やマンションを間違って訪問してしまった時の取りつく島のない居心地悪さを存分に味わうようなことになるブログもある。
ご自分のマンションの一室なのだから、何をどうあしらおうと勝手なのだろうし、また、思う存分、見知らぬ他人を警戒する空気が満ちていたり、一部の "お仲間さん" だけを受け入れようとする雰囲気が漂っていようと、それもまた勝手なのではあろう。
また、昨今ではこの傾向、 "部外者お断り" 的傾向は強まり、いわゆる "SNS( Social Networking Service )" というような人と人とのつながりを促進・サポートする、コミュニティ型のポータル・サイトが人気を集めたり、さらには、 "トゥイッター( TWitter )" と呼ばれている "ひとり言" 書き込みサイトなぞも隆盛を極めているらしいから、ひとつの大きな潮流であるのかもしれない。
だから、そんなブログを間違ってクリックしてしまった際には、あっ、失礼、間違えました......、と言うようにして早々切り上げてしまうことになる。
ただ、 "パブリックな" インターネットなのだという自覚が片鱗もないように感じられる場合には、いろいろなことを感じ、考えさせらてしまうものである。
この辺の現状に関しては、次のような一文を引用しておきたい。
<インターネットに代表される現代の表現環境は、自分自身や仲間内で閉じた自己満足的なコミュニケーションを醸成しかねない場でもある。数個のノード(結節点)を経由すれば世界中が結びつけられる「スモール・ワールド・ネットワーク」が実現しているはずのインターネットだが、実際には細かくゾーニングされた蛸壺(たこつぼ)的コミュニケーションが並立する傾向が強い。自らの嗜好に合う直近のノードより先には、広い世界が待っているはずである。グラフ理論としての図式では、ノードを何個か経由して世界全体とつながることは可能なはずであるが、実際には、このような「スモール・ワールド・ネットワーク」的行き交いを行うことにはかなりの精神的エネルギーが必要になる。
......
生まれたばかりの赤ん坊にとっては、体験するものの殆ど全てが直近のノードを超えた向こう側からやってくる。自分の期待していることとの「ずれ」に遭遇し、くやしくて泣き出す。そのような脳の感情のシステムが激しく介在するような反応があってこそ、初めて本当の意味での他者との出会いがあり、学びがある。未熟な表現者はみな、世界との行き交いの中でずれ[傍点あり]を感じて泣けばよい。ノードを経由してやってくる様々なものの消息が、新生児にとっての世界のごとく新鮮で、魂をゆさぶるものとして立ち上がって初めて、「スモール・ワールド・ネットワーク」としてのインターネットはその本領を発揮するのである。>(茂木健一郎『脳と創造性 「この私」というクオリアへ』 2005.04.05 PHP研究所)
茂木氏のこの見解は、<リアルさと「ずれ」>と題された章で、<脳の中にある図式と、世界の現実とのずれ[傍点あり]こそが、私たちが創造的であり続けるために必要な一つの栄養なのである>という点を説明するための一エピソードとして述べられている。
ちなみに、<創造性>なんか自分には関係ないと考える向きもあろうから言っておけば、同氏は、現代にあっては、もはや一部の個人に託されていたかのような<創造性>の概念は再構成されなければならないと主張されている。
<ネットワークを通して結び付けられたコンピュータの発達によって支えられたIT社会の成熟、そしてポストIT社会の発展に伴い、人々は創造的であることを運命づけられる。このような時代には、社会を支える概念的インフラとしての「創造性」のイメージは脱神話化され、再構成されなければならない>(同上)
まさに共感共有できる現状認識だと思われる。
現状の多くのブログなど(自身のものもそうかもしれない)が、あたかも "個人空間化" され切っているかのように見えるのは、それはそれで根拠のあることなのかもしれない。
しかし、<実際には、このような「スモール・ワールド・ネットワーク」的行き交いを行うことにはかなりの精神的エネルギーが必要になる。>という、茂木氏の実感的指摘をしっかりと踏まえたい気がしている。
そろそろ、この<精神的エネルギー>の回避行動という現代人の悪癖を見つめ直さなければ、<創造性>の問題もさることながら、それ以前に "悲惨なワナ" への亀裂がポッカリと口を広げて行くという事態も十分にあり得るのだろう...... (2008.06.18)
コメントする