やはり "パソコン(インターネット)操作" を例にするのがいいのかもしれない。
以前から言われ尽くされたことであるが、中高年の人が "パソコン(インターネット)操作" に挑戦する際、 "難なく成功する人" と、結局 "失敗に終わる人" とがいるようである。
そして、 "失敗に終わる人" の中には、結構 "博識" だと思われてきた人も含まれていて意外な感じがしたりする。どうしてそうなのかと若干調べてみると、そういう人は、 "どうして? どうして?" を連発して、躓いてしまうらしい。
疑問を提起して "知識" を追求する向学心は評価できるものの、どこかズレてしまうようなのである。
こうした現象について、自分は、<IT環境は "体感的" に活用してみなければわかりようがない......>(当日誌 2008.05.15)と題して書いたことがある。決して、IT知識の基礎学習を軽視しているつもりではないのだが、 "知識!知識!" で攻めるアプローチとはちょっと違うのかもしれない、という思いが打ち消せないのである。
現代のIT環境が、無数の "ブラックボックス" 化された技術要素群によって構成されているから、全体を "頭で理解しよう" としても困難だ、と言うこともできる。だから、 "どうして? どうして?" を連発し続けると、専門知識群の鬱蒼とした森に迷い込むことになる、とも言えそうだ。
しかし、そんなことよりも、 "どうして? どうして?" 派の人たちは、 "知識偏重" の嫌いがあるのではないかと懸念する。知識や、それを得た頭で環境を理解し、掌握できるものだと信じ込んでいるのではないかと感じる。
おそらく、過去においてはそんなことが可能な時代環境があったのかもしれない。変化に乏しく、知識の展開も緩やかだった "スタティック" な時代環境にあっては、たぶん、そんなことも可能だったのかもしれない。
しかし、現代という時代の環境は、変化も激しく、知識も爆発的に増加しており、さらに知識はその応用としての科学技術(サイエンス&テクノロジー)と密接に結合するようになっている。まさに、 "ダイナミック" な時代環境に突入しているわけだ。
しかも、経済活動(仕事環境)はこれらと一体化して進行しており、とにかく技術環境を実践的に運用して行かなければ成り立たない。生活も成り立たない。
ということは、技術環境を "大筋の理解と了解" によって、 "実践的に対処する" ということが日々の課題となっている、ということではなかろうか。(ふと想起するのは、 "法" のジャンルでの、 "成文立法" に対する "判例法" という考え方である......)
もちろん、かなり "荒っぽい" ことを言っているのは承知している。が、 "荒っぽい" のは、 "ダイナミック" な時代環境の常であり、急遽どうすることもできないのではなかろうか。
ところで、よくよく考えてみると、現代の技術環境がどうのこうのと言う以前に、人間の人生や生活自体が、全体を "頭で理解しよう" としても困難だ、とは言えまいか。 "どうして? どうして?" を連発し続けたところで、そのことに邁進するあまりに無為に過ごすのならば、何も得るものはないのかもしれない。
人生や日々の生活とて、 "大筋の理解と了解" とによって、 "実践的に対処する" 以外に選択肢はないというのが実情なのかもしれない。
で、だから、 "出たとこ勝負" の成り行き任せを推奨しようとしているわけではない。(多少の成り行き任せはあって当然ではあろう......)そうではなくて、 "大筋の理解と了解" によって、 "実践的に対処する" そのアプローチを "極める!" ことこそに注力すべきだと言いたいのである...... (2008.06.26)
コメントする