事務所での自分の作業環境は、デスク・ワークをしながら窓の外の光景が見える格好になっている。普通、窓を背にしてデスクを設置するものなのだろう。しかし、窓からの明かりを採り入れようという専ら機能的な観点からデスクを窓に向けている。
だから、机上の作業から顔を上げると窓の外の光景が目に入るのだ。仮に公園などに向かっていて緑の樹木などが見えれば言うことはないのだが、見えるのは、前の車道とそこを走るクルマ、そしてその通りを挟んだ向こう側の民家の佇まい、そして電線にとまる野鳥たちといったところであろうか。
今日は、民家の佇まいの一角の理髪店の店先で、ペンキ職人が一人、黙々と作業をしている光景が目に入り続けた。こちらもヒマというわけではないので、別に眺め続けているわけではない。が、視線を窓外に流すと見えてしまうのである。
そのペンキ職人は、白っぽい作業着を着用し、頭は手拭いでしっかりと覆って作業をしている。近くには、軽のワンボックスカーが停めてあり、そこに道具一式を積み込んできたようである。
そうした日がな一日マイペースで作業をする職人の動きを見ていると、職人の仕事というのはどんなものなのだろうかと、余計な想像をしたりしてしまった。
複数人で共同作業をするのではなく、単独で黙々とこなす仕事というのは、やはり向き不向きがあるのだろうな、と先ずは考えさせられた。
"腕に自信と経験がある場合" には、意外と気楽なのであろうか。その日一日の作業段取りは朝一番に計算済みとなるはずだし、想定外のハプニングでも起こさないならば、日の短い季節でも明るいうちにお勤め作業は完了するに違いなかろう。
独り仕事の場合は、複数人での共同作業とは違って、自身の腕と采配にすべてが掛かっており、作業段取りもかなり正確な計算可能性が生まれるのであろうし、何かにつけて自分自身に責任があるわけなのだから、苛立つ心境にもなりにくいのではなかろうか。
首尾よく一日のノルマを果たし終えたならば、後は、パチンコ屋に立ち寄ろうが、飲み屋に転がり込もうが勝手なのであろう。
こうして、自身の腕と采配を頼りにして、取り立てて他者と関わったり頼ったりすることも少ない仕事生活を続けてゆくところに、いわゆる "職人気質(かたぎ)" と呼ばれるものがじわじわと形成されてゆくものなのだろうか。良くも悪くも、である
こう考えると、一匹狼的な "職人稼業" というのは、仕事さえ切れたり、途絶えなければ、決して悪くはないのかもしれない。現時点の社会環境では、サラリーマンとて将来が完全保障されているわけではないし、言うまでもなくサラリーマン生活は、不可欠な "付帯事項" とでも言うべき "職場の人間関係" などが結構な負荷のはずであろう。特に、個人主義的感性が濃厚な若い世代はそう感じていると思われる。
しかし、なのである。一匹狼的な "職人稼業" は "いきなり" 可能となるものではない。たとえ、現在のように、さまざまな職業的訓練機会が溢れていようとも、プロとしての "職人稼業" にたどり着くには、むしろ、サラリーマン生活とは比べものにならない濃密な "職場の人間関係" を相変わらず経験せざるを得ない、と言うべきなのではなかろうか。プロとして通用する "職人技" というものは、どうも、個人空間としての "マイルーム" で、好きな時にコーヒーを啜りながら身につけられるとは限らないからだ。
しかも、一匹狼的な "職人稼業" というものは、決して文字通りの "一匹狼" 的な孤立では成立しないようである。継続的な仕事の確保という重い課題を背負って行くためには、技術・技能の面での "職人技" を磨くとともに、情報通であったり、人間通であったりしなければならないという不透明な課題が結構重いようである。
窓外の、ペンキ職人は、脚立を畳んだりしながらそろそろお勤め作業完了に入っているような気配である。理髪店の注文主も表に出て来て "出来栄え" をチェックし、 "検収" に入っているようだ...... (2008.06.27)
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