松岡正剛氏は、その『千夜千冊』の中で、かつて "ウェブ2.0" のネクストをめぐって次の点を強調していた。
<時代がそろそろキーワード主義(小泉時代も終わったのだから)から、コンテキスト主義に移ってほしいのだ>(松岡正剛の千夜千冊 遊蕩篇 1162夜 2006年11月10日 森健著「グーグル・アマゾン化する社会」 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1162.html )と。
同氏は、森健著の同上著作を素材にしつつ、 "ウェブ2.0" 時代を概観しながら、ウェブ時代環境はグーグルによる<検索技術>の圧倒的適用によって、いわば<「検索経済」>に至ったこと、そしてこれをベースにして<ウェブ2.0社会の次>が見通せる状況にあることを叙述している。
その叙述は多岐にわたっているが、同氏の主要な関心は、この<「検索経済」>の現状であり、またそのネクストと思しき<ティム・バーナーズ=リーが提唱する「セマンティック・ウェブ」の可能性>ではなかったかと読み込めた。
そこから、現行の<検索技術>をあらしめている<キーワード主義>は早晩大きな脱皮を遂げて<コンテキスト主義>へと移行するはずだと鳥瞰している様子なのである。
もう少し詳しい引用をすれば以下のようになる。今後の見通しを6点に整理して叙述しているのだが、その先頭で以下のように記している。
<第1には「コンテンツからコンテキストへ」という技術変化がおこるだろうと思っている。いまのところ検索技術は、あくまでコンテンツのキーワードに依存したままにある。これをコンテキスト(文脈)の検索や編集にグレードアップさせるべきである。ユーザーは欲望が満たされることがわかったのちは、意志を文脈あるいは物語として表明したくなるものなのである>
松岡氏の<コンテキスト主義>の内実は、上述した<「セマンティック・ウェブ」>が目指すものだと思われるのだが、現行のアマゾンの<リコメンデーション>のシステムにその片鱗を見出しているような気配もありそうだ。
< こういうアマゾンの思想を支えているのは、端的にいえばリコンメンデーションである。何かを買ったり読んだりしたら、「おすすめ」をつける。このリコンメンデーション・システムにアマゾンは技術開発の粋を賭けた。お金もかけた。
リコンメンデーション・システムそのものは、新しいものではない。大別すると「協調フィルタリング」と「クラスター・モデル」と「検索ベース方式」でできていた。
「協調フィルタリング」は、同じ商品を入手したユーザーの関連性を数値化しておくアルゴリズムのことで、「漱石が好き、その漱石のなかでも『草枕』と『夢十夜』が好き、実はグレン・グールドやチック・コリアのピアノも好き」といったデータを協調させることをいう。ただし、ユーザー数が100万人を超え、商品数や読書数が10万点を超えるあたりからは、計算が極端に鈍くなる。
「クラスター・モデル」はユーザーの属性を定義して数値化するという手法だが、これはそもそも定義が難しい。かつてのマーケティング手法が崩れたように、「金曜日にワインを買って土曜日に汗を流しているような、都心から1時間25分の範囲に居住する1.6人の子持ち」などというクラスター・モデルが、役立つとは思えない。こういう定義自体に限界がある。
よくある「検索ベース方式」も、商品や書籍に関連するキーワードでリコンメンデーションするのだが、あらかじめすべての商品と書籍のキーワードをデータベース化しておく必要がある>(松岡氏同上箇所より)
つまり、アマゾンが<リコメンデーション>を機能させている舞台裏には、きわめて限られたかたちではあるけれど<キーワード主義>を "脱皮" しながら<コンテキスト主義>へと接近しようとしている姿があると目されているかのような感触なのである。
いずれにしても、現行および今後の<「検索経済」>では、企業収益がウェブ上におけるユーザーの<検索>という一事に掛かっている以上、その使い勝手と精度とをいかに "脱皮" させ、進化させるのかが大きく問われているということなのであろう...... (2008.07.28)
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