インターネットなどの発達や中国・インドなど新興国の経済成長によって世界の経済は一体化し "同等な条件での競争" が展開される時代になったというわけである。
なお、 "世界のフラット化" とは、
<新しい通信テクノロジーの出現によって、地球上のあらゆる場所にいる人間との共同作業が可能になり、インドや中国へのアウトソーシングが始まった。ブログやGoogleはインターネットに接続する個人にグローバルな競争力を与え、(中略)いまや、個人の働き方、企業のビジネスモデル、さらには国家のシステムが猛烈な勢いで変わろうとしているのだ。この劇的な大変化こそ、「世界のフラット化」である。(『フラット化する世界』カバーの折り返しより引用)>
と紹介されている。
"フラット" というキーワードは、すでに、インターネットを核にしたネットワーク時代におけるさまざまな "組織" の "フラット化" というような表現で注目を浴び続けてきたはずである。
<フラット組織 Flat Organization>とは、IT環境で構成されたネットワークの機能によって、管理階層が削減されるとともに、個々の組織構成員の自律性を高めたり、スピーディーな意思決定を実現したりすることができるとした組織のことだ。
こうした意味合いでの "フラット化" の傾向が、従来、いろいろな意味合いで引き合いに出されてきた "ピラミッド型" 秩序を、大きく揺るがし、社会全体、世界全体の雰囲気を大きく変えてきたのが、この現代のひとつの大きな特徴だと言えるのであろう。
この趨勢は、基本的には望ましいものであるに違いない。また、今後ますますそうでしかあり得なくなって行くはずなのであろう。
それは、ちょうどコンピュータ環境が、 "中央(集権的)" な巨大な汎用コンピュータを頂点とするシステム(ピラミッド型)では立ち行かなくなり、 "分散型" のネットワークシステムに移行し、現行のインターネットというかたちで世界中に広がったのと同じ理由である。
ただ、このネットワーク時代、 "フラット化" 構造時代にあっては、個々の要素や個々人がその構成にふさわしく "自律的" であることがますます強く要請されているようだ。この点が、どう成熟していくのかが今後の大きな課題だと見なされている。
余談となるが、この "フラット化" 時代にあっては、どの組織、どの社会に属するかは別にしても、現状の個々人たちが果たしてどの程度の "自律性" を持っているのかという問題は決して小さくないと思われる。まさに、 "自律的" にその条件を問うてみたり、チェックしてみたりしなければならないはずであろう。 "クラウド(群集)" はいつも正しいはずなのだ、と観念的なことを言っているだけでは済まないと思われる。
そこで、駄じゃれ好きな者は、つい言ってみたくなってしまうのである。
"フラット" 化時代にあっては、 "ふらっ" とした判断はこの上なくリスキーなことだ。内面の判断基準に関してまで "フラット" にしてしまい、思考停止・判断停止状態に陥ることはもってのほかではないか、と...... (2008.07.30)
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