日々書くことそれ自体に意味があると思い込んでいるため、そうした数字にさほど意味があるとは考えていない。ただ、 "書き終えた足跡" にあまりに無関心過ぎるのかと思うことがないではない。
極端な話、 "年寄りの繰言" ではないが、同じ主旨、テーマについて同じ切り口で書いてしまってはいないかと心配することもある。さすがに、これは以前書いたはずだと感づくだけの記憶力が健在でありそうなので、まだまともに心配することはなさそうではあるが......。
が、今ひとつ配慮したいことがあった。日々書きながら考えることに果たして "深まり" が伴っているのだろうか、幾分なりとも "深化(進化)" しているのだろうか、という点なのである。
こうした "日誌" 、あるいはデイリーのエッセイのような形式では、形式上の制約から、バラエティのある関心事を追っかけることはできても、ややもすれば "広く浅く" の傾向に陥ってしまうという懸念が残る。
それでもいいのかもしれないが、せっかく相応のエネルギーを割いているのだから、去年よりも今年、昨日よりも今日、という具合に多少なりとも "深化(進化)" したいものだと思うのである。
そうしたことに思いを向けた時、あることに思い至った。過去に書いたものをスピーディに参照したり読み返したりできるという条件、環境のことなのである。
幸い、自分の "日誌" は、毎回、拙い水準ではあっても文章のテーマらしきものを表すような "表題" を添えてきた。だから一応その "表題" を目にできさえすれば曲がりなりにも内容は思い出せる。だから、過去の日誌の "表題" 全体の一覧が目にできれば、とりあえずは最低限の望みは叶えられるだろうと思ったのである。
本来を言えば、日々のそれぞれを "カテゴリー" 別に整理しておけば、参照したい時の関心に対してよりスピーディに対処できるというものである。(この点は、今後の作業課題としたい)
実を言えば、これらのニーズに対して、いわゆる "ブログ" システムというものは、既成のスタイルででも対処可能な受け皿を持っているのであり、だからこそ、つい先だってからそうした "ブログ" システムの方式をも併用し始めたわけであった。
しかし、その "ブログ" システム方式以前に書き残された分が6、7年分溜まっており、この分の内容参照こそが厄介だったのである。
確かに、それでも月次ごとの "表題" 一覧は参照できたのだが、それでは煩わしいと感じていた。過去の "表題" 総目次のようなかたちが欲しかったのである。
ということで、やや手数は掛かったが【 過 去 編 総 目 次 】というページを新たにアレンジすることにしたのである。これがあれば、当面のニーズは充足されそうに思えたからだ。
ともかく、情報というものは、 "発信し放し" で済ますことなく、 "反芻" してこそ意味が深まりそうだと考えている...... (2008.07.31)
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