"松本サリン事件" の被害者の一人、河野澄子さんがお亡くなりになったという。
オウム真理教の犯行によって、サリンを原因とした脳障害で事件発生から14年余り意識不明の状態が続き、その結果死亡されたのだそうだ。
改めて、 "オウム真理教" の愚劣さを痛感するとともに、河野さんご夫妻のご不幸を心から悼みたい。また、その無念さにも共感したい思いである。
もちろん、表現を絶する非道さの塊としか言いようがない犯罪集団、 "オウム真理教" を非難すべきなのは当然である。まして、この国の社会にあっては、たとえ特異な事件であっても早々に "風化" させがちであるため、何度でも極悪犯罪は糾弾されるべきだと思われる。
特に、この事件については、何か "もどかしさ" が消し切れないのだ。あれだけ残酷に多くの被害者たちを生み出し、世間を戦慄に陥れた事件であったにもかかわらず、今ひとつ事件の真相が掴み切れていないような感触だからでもある。少なくとも、よく言われる言葉、 "二度とこんな事が起こらないように......" に匹敵するほどに、事実や教訓は広く国民一般に共有され尽くされたのであろうか。
残念ながら、どうも、事件直後におけるマス・メディア主導の馬鹿騒ぎだけが強く印象づけられたという気がしないでもない。(さらに言えば、事件前、当該宗教団体をマス・メディアや知識人たちが "持ち上げて" いた事実にしてももっと周知されて然るべきではなかったか......)
マス・メディアと言えば、当局、長野県警の "捜査ミス" と歩調を合わせて、河野義行さんを平然と "容疑者扱い" にし続けた報道各社のその姿勢と能力水準は言語道断であっただろう。恥ずかしき限りではなかったか。
<その後、オウム真理教の犯行と分かり、長野県警は義行さんに遺憾の意を表明し、報道各社も謝罪した。>(【共同通信】2008/08/05 12:39 )
とあるが、河野義行さんの身にもなってみよ、と言いたいところである。どんなにか辛く、悔しい思いであっただろうか。
奥さんが致命的な被害を受けてこの上ない心痛のそんな最中であったことを振り返れば、当時の県警やマス・メディアは、よくもそんな酷い事ができたものだと呆れ返ってしまうのである。
確かに、誰しも間違いということはあり得る。しかし、いずれもプロであるならば、それにふさわしい能力を磨き、努力をすべきではなかったか。言ってみれば警察にしてもマス・メディアにしても、 "情報収集" については専門家ではないか。いくら特異なケースではあっても、事件に関する不審な情報がいっさいテーブルに上がらなかったわけがなかろう。捜査や報道の "ミス" というよりも、そういう結果に至る "必然性" が既存構造の中(記者クラブ!)から滲み出していたのではなかったかと......。
ところで、十数年前の過去から現時点に目を転じたとして、一体何がどう改善され、好転したのであろう? 人の命の重みをいっさい顧みない犯罪は、ますます安直に繰り返されているのが現状である。
無力感のようなものが打ち消し難く伴うのであるが、その点については、マス・メディアにこそしっかりと凝視してもらいたいと思っている...... (2008.08.05)
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