薄ら涼しさに加えての雨。
朝のウォーキングでは、境川がやや水量を増し、ちょっとした轟音を立てて流れるのを見る。水鳥たちの姿もなく味気ない光景であった。
こんな日は別に無理をして歩くこともなさそうだが、特に体調が悪いわけでもないので防水のトレッキングシューズを履き、傘を差して歩く。
天気予報によれば、今日、神奈川県の各地域は大雨注意報とかが出されており、降雨は本格的なもののようである。また、8月の最終週はこんな日が続くとのことであり、猛暑でなければこんなぐずついた天気なのかと、やや気分が滅入ったりする。
ここニ、三日、天候のことを書いて "お茶を濁して(?)" いそうだ。
猛暑に対しては、 "構える" ような姿勢が誘発されるのに、こうした涼しさが唐突に訪れると、なぜだか "休め" モードになってしまうものなのであろうか。
何だか多少の疲労感を覚えたため、今日は午後、小一時間の午睡を決め込んでみた。
畳の上にゴロリという格好では薄ら寒くて、昨日の話ではないが風邪でもひいては洒落にならないので、まともに布団に包まって横になる。思いのほか良く眠れたようで、そんな時に現れる心地よいだるさが身体中に染み渡る感触であった。
身体の疲労感というものは、結構、意識によってコントロールされてしまうようであり、気を緩めなければそこそこ潜伏してしまうものなのかもしれない。決して、疲れが皆無だから疲労感が生じないというメカニズムだけではなく、愚痴を言ってはいけないようだからと身体の方が "自粛" するかのように、疲労感が表面化しない、というような仕組みもありそうな気がする。
だが、こうした "言論抑圧(?)" 体制に依存し続けることはかなり危険だということをいつだか耳にしたことがある。日頃元気な人が急に......、という事態になりかねない、とかである。
多分、 "ガス抜き" のごとく、適度に身体に、休むための "誘い水" のような "隙" を与えてやることが、本当の疲労回復にとっては必要なことなのかもしれない。
別に、今日の午睡の講釈や釈明をするつもりもなかったが、妙に疲れが取れたような感触であったためにそんなことを自覚したのであった。
奇妙なアナロジーとなるが、必死に頑張る中国を見ていると、 "愚痴を言ってはいけない" と強要されつつ過剰に疲労感を貯めることになっていそうな民衆に、適時、適切な対応をしてゆかないと、不測の事態を招きかねないとも...... (2008.08.24)
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