ずっと以前から "夢" というものには関心を持ち続けてきた。この日誌にも何度か書いてきた覚えもあるし、 "夢" についての著作も少なからず読んできたかと思う。
しかし、未だによくわからない。 "夢" 一般についての仕組みがわからないとともに、自身が見た "夢" ( "夢" は、「見る」という漢字を使っていいものかどうかも微妙なところであろう)についても、どうしてそんな "夢" を見るのかは不可解でしかない。
このところも、わけのわからない "夢" を随分と多く見ているようだ。最近は、加齢による "前立腺" の兆候もあってのことか、夜は頻繁に目を覚ます。一晩で、3回はトイレのために起こされる。そして、その度に直前まで "夢" を見ていたことを反芻する。
つまり、毎晩のように "3本立て" の "夢" を見ているようなのである。
昔、庶民の手軽な娯楽が "映画館へ行くこと" であった頃、 "3本立て映画館" というものがあったと記憶している。どういう映画興行の都合があったのか、こうした複数本同時映写というスタイルが結構、一般的であった。楽しみが "3倍" とも言えそうだが、今振り返ると、鑑賞後の余韻もへったくれもなく、下手をすれば頭も心もごった煮のような混乱の極みということであったのかもしれない。
で、このところ続く "3本立て" の "夢" に戻るが、不思議とも言えるが、どうもそれら "3本" の関係はほとんど脈絡がないようなのである。 "続編" というような関係があっても良さそうであるが、まったくそれはない。いいところ(?)で目が覚めてしまう "夢" もないではないのだが、寝床に戻って再び眠りにつくとまったく関係のない別な "夢" を見ているようである。
そういえば、昔、愛読した東海林さだおの漫画 "ショージ君" にそんな題材があったように覚えている。めずらしく、彼女と "いい線" まで行く成り行きとなり、その筋の館まで行き、入口に差し掛かった、そこで目が覚めてしまう。そこで、 "ショージ君" は "惜しい!" と悔しがり、トイレを済ませた後、続きを期待して寝床に入る。
幸い、同種の筋の夢に戻れたのは良かったが、ところが、先ほどの成り行きをなぞるような場面であり、まるで、ビデオテープを巻き戻して見ているようになる。もうそこは見たんだってば! と眠りながら地団太を踏む。と、さっきと同じ場面のところで再び目が醒めてしまうのだ。
またまたトイレを済ませた後、これは、眠りが浅いところに問題がある! と自覚し、安いウイスキー "サントリーレッド" をがぶ飲みして虎視眈々と寝床に転げ込む。
確かに、眠りは深まった......。が、次に目が覚める直前の夢の場面は、 "ショージ君" が彼女と腕を組んで、その館から満足そうに出てくるところであり、 "期待していた部分" は "素通り" してしまっていたのである。 "ショージ君" は、枕を放り投げて悔しがる絵でその漫画は終わっていた......。
別なことを書こうとしていたが、既に紙面が埋まってしまったので、今日は、今思い出しても笑える "ショージ君" 談義で終えることとする。
さてさて、今夜はどんな "3本立て" が用意されているのやら...... (2008.09.12)
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