さしたることをした覚えがないにもかかわらず、今朝はやたらに身体のあちこちの筋肉が痛くて、朝寝をしてしまった。今日から三連休だという思いがあったのだろう。それで、一日くらいはのんびりと寝ていようと思ったに違いない。
秋の涼しい朝であればもっと気持ちよく眠れたものだろうに、あいにく今朝は陽射しも強く残暑の寝苦しい朝であった。
しかし、思えば天候について、人は勝手なことを言い放題に言っているようだ。天候の方もこのところ異常気象だとされているが、人間が天候のことについて言うのは、ほとんど自分本位の愚痴であるような気がしないではない。
こんなことを思うのは、昨晩、寝床でうとうととしていた時、空耳だったのであろう、あるいは遠くでのバイクのエンジン音かジェット機か何かだったのかもしれないが、雷鳴が聞こえたような気がしたからである。
が、すぐさま、今晩あたりの雷の予報はなかったはずだし、そんな気象状況でもないことに気づいた。やはり、バイクのエンジン音か何かだったのだろうと思い直したが、そうすると、何だか急に夏の夜の雷鳴というものが懐かしくなってきてしまった。そう思うと、多分、もう来年の夏まではあの雷鳴も聞くことはないだろうということに思い至り、なおのことじわぁっと、あの人騒がせな雷が無性になつかしくてたまらなくなったりしたからおかしかったのである。
それなのに、つい先だってのように自身の身辺で豪雨とともに鳴り響いた雷鳴には、情緒がどうのという気なんぞにはなれなかったのだから、実に勝手なものである。
事ほど左様に、天候について人が思うことは至極手前勝手だったりするようだ。自然は何の意図も遺恨もあるわけではなく、まさに成り行きで推移しているのだろうから、自然現象の方こそいい迷惑なのかもしれない。
ところで、こんなふうに、 "当事者" 側には何の意図や悪意があるわけではないにもかかわらず、意識と感情の塊(かたまり)である人間は、それに対してあーだこーだと反応する、それが人間世界だということになりそうである。何をいまさらという感じがしないでもないが、ふとそんなことを考えたのだった。無機質な自然界のようにさらぁっと推移して行くことへの何らかの憧憬でもあるのだろうか......。
ただ、人が感じる幸も不幸も、みなそれらは、人が意識と感情の塊であるところから生じているのだろうから、何をかいわんや、であろう...... (2008.09.13)
コメントする