部屋にあるデジタル温度計は、23.8 度を表示している。戸外では20度を割っている様子だ。
涼しいのはいいとして、こんな薄ら寒さまでは "注文" した覚えはないヨ、といったところだ。身体を動かしてのスポーツなどに興じる分には絶好の気温であろう。朝のウォーキングも、最初は半そでシャツでは寒い感じであったが、やがてウォームアップしてくるとちょうど良い快適さを味わった。ただ、陽射しもないため、一瞬、季節感に戸惑ってしまい、晩秋か冬であるかのような錯覚に陥ったりした。
が、椅子に座ってじっと固まる姿勢のデスクワークをしていると、九月とは思えない薄ら寒さを感じる。いささか "いきなり" といった冷え込み方である。半そでから出た腕に寒さがしみたりする。
朝のウォーキングと言えば、めずらしく義兄と出会った。義兄の家は、ウォーキングのコースである境川の遊歩道の近くにあるため、出会ったとしても決して不思議ではない。だが、これまで何年にもなるのに一度として会うことはなかった。かつて、姉が散歩をしているのに遭遇したことは一度だけあったかに覚えている。
ことさらこんなことを書くのは、その遊歩道で出会う直前に、ふと何気なく義兄のことを思い起こすといった、妙なタイミングがあったからなのである。義兄の家の近辺を通り過ぎようとする辺りで、ちらっと義兄や姉のことが脳裏をよぎることはないではない。しかし今日は、ことさら義兄のことを何か考えていたようであった。さしたることでもなかったが、何かを考えていた。そしてその直後に、向かっていた遊歩道の前方に見覚えのある義兄の姿を目にしたのであった。
挨拶をすると、義兄は一瞬、誰? という顔つきをしていたようだったが、すぐに気づきやや驚いた表情になっていた。しかし、驚いたのは義兄だけではなかった。自分も少なからず驚くものがあった。つい先ほどまで、頭に思い浮かべていたそのご当人が、ほんの数メートル先に "急に現れた" からである。
というのも、歩いていた遊歩道が見通しが良かったならば、はるか遠くから義兄の姿を見つけていたのだろうが、ちょうど、その辺りは部分的に見通しの良さが途切れる地形になっていたのである。そして、そこを通り過ぎたところで、前方に義兄の姿を見つけたものだから、なおの事、突然に出会うという印象が深まったわけなのである。
まあ地形のことはともかく、 "考えていた人物" と "タイミングよく出会う" という現象については、何となくかねてより関心が向いていた自分であった。要するに "偶然" 以外の何ものでもないと言えるわけであるが、その偶然に "何らかの意味" を探りたくなってしまうわけなのである。こうした現象のことを、確か "共時性" とかと言って意味なしとはしない視点(c.f.ユング)もあったような気がする。
思い返せば、こうした現象を経験した人は意外と少なくないようである。ただ、おそらくは、こうした現象を科学的な説得力をもって説明することは不可能であるに違いなかろう。ただ、だからと言って、無意味なことだと切り捨ててしまうのは気が引ける。
考えようによっては、人が後になって意味を感じる何かに出会うということ、それは、ひとまずは偶然だと言って済ませはするものの、 "偶然にしては出来過ぎ" という思いが打ち消しがたいような気がしてならない...... (2008.09.28)
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