幅広い演技力で好感が持てた名優・緒形拳さんが71歳という惜しまれる若さで亡くなった。緒形拳さんの演技で印象的だったのは、先ずはNHK大河ドラマ「太閤記」の主役・豊臣秀吉役であり、そのほかにもいろいろとあるが、映画「砂の器」での生真面目な巡査役もまた実に好印象を与えられたものだ。凄みのある人物像も上手にこなしていたが、概して、地に足のついた男の強さを演じ続けていたかに思う。そんな緒方さんには、今後、歳にふさわしい円熟した大人役を大いに期待していたのだったが、それだけに寝耳に水といった訃報として受けとめることになった。
"命の幽(かそけ)さ" と、気取った言い方をしたが、昨夜、ちょうど小椋佳コンサート『未熟の晩鐘』(2007.01 NHK BS 放送)の録画版をDVDに焼き直しているところであった。
そのコンサートのメインで披露された曲、 "未熟の晩鐘" は、仏教哲学にも造詣が深い小椋佳氏の想いが沸々と込められたかのような味わい深い歌詞に仕上がっていた。
著作権に触れるといけないのでその歌詞の詳細をトレースすることはできない。が、同氏も踏み込んだ "晩鐘" 響き耳にする時期において、 "悟り" とは裏腹の "未熟" で彷徨う者のうら哀しさと、不可避に見え隠れする "命の幽さ" が、実に上品かつ繊細に歌い上げられていた。
特に、自分もこの歳になって感じ入ることとなった "命の幽さ" という表現には、万感胸に迫るものを感じたものだった。
"命の幽さ" に宿命づけられた人間ゆえに、親しき者、愛する者との死別を避けることができないとともに、同じ根拠によって人間は、この世界の無比の輝きを識ることが許されている。それにしても、 "命の幽さ" とは、何と荘厳なことだろうか......。この現代という人智破格の時代環境にあっても、この荘厳さの足元だけには迫れるものは何もなさそうな気がする。
<未だ 教えを 説く期熟さず 悟りとは無縁の 未熟を愉しむ>(小椋佳 "未熟の晩鐘" )そんな自分たちが識るべきなのは、目をそむけ続けている "命の幽さ" なのであろうか...... (2008.10.07)
コメントする