一昨日、ウォーキング途中で川の鯉たちに餌をやる話を書いた。
パン切れであってもそれらを必死で追う鯉やカルガモたちがかわいいと思ってのことなのだ。が、もうひとつ気に留めることがないではない。ほんのわずかなお金で買う安いパンでも、彼らは大層ありがたく思う点である。そうした事実に接していると、知らず知らずのうちに狂わされているモノの価値観が、それとなく正される気がするのである。
高が50円、100円と軽視する生活に慣れてしまっている。あるいは、食べ残しを無造作に捨てる習慣も身についてしまっている。
そんな時に、これらをひもじい思いをしているはずの動物の餌にすれば......、と考えると途端にわずかなモノの価値が蘇ってくるような気がしたりするのである。
< "賞味" というアバウトな基準で、それが過ぎると途端に "廃棄" するというようなもったいないことをするシステムがどうも納得がいかない>と、併せて書いた動機もそんなところに潜んでいたのかもしれない。
ただ、こんなことを考える自分は、要するに "貧乏性" に過ぎないのかと感じないわけでもない。もっと、 "生産的" なことに目を向けるべきであり、 "節約" 的なジャンルに舞い込んでどうする、と気にしないわけでもない。
ところが、そうではなさそうであることを思い知らされた。もはや、この国にあっては、手放しで "飽食" 現象を傍観しているわけには行かないようなのである。
経済危機だからという視点もある。また、地球温暖化危機という視点もある。
だが、もっと差し迫った点で言えば、この国の食糧事情はとてつもなく危うい状態にある、という点なのだ。
今、世界中で食糧価格の多くが高騰していることは知らされてきた。オイル価格高騰からガソリン代替物としてバイオエタノールが着目され、その原料としてのトウモロコシなどが急速に高騰している。また、新興国での消費量も急増したことなどで、家畜飼料を含む食糧全般が信じられない急騰を続けているという事情である。
それに加えて、 "穀物自給率" が28%(G8はほぼ100%超)という驚くべき低水準の日本は、高騰する穀物類を輸入させられることでもろに破格の負担を背負わされているわけなのだ。いや、それどころか、大豆などについてはその輸入量ですらままならなくなっているとも言われている。
つまり、あっという間に、世界の食糧事情は悪化し、そして、この国日本の状況は "悲惨なこと" になりつつある、ということなのである。
昨夜のTV番組、NHKスペシャル<世界同時食糧危機(2)食糧争奪戦 ~輸入大国・日本の苦闘~ >は、こんな危うい日本の食糧事情について警鐘を鳴らすかのように放送された。
自分が好きな "納豆" や "豆腐" も、ひょっとしたら食べられなくなるのではないかと心配させられるほど、 "大豆" の確保も難しくなっているらしい。
世界中での消費急増と生産の逼迫に対して、一方では "遺伝子組み換え" 技術が鎬を削っているようだし、また、大豆の作付けが急増する中でそのための "農地" の激しい争奪戦が繰り広げられてもいるというのだ。
中国産の農産物が白い目で見られる事態が発生しているが、それ以前に発生しつつある問題は、そもそも輸入が成立しなくなる事態もありそうだという点のようである。
番組は、食糧輸入大国(4割の輸入依存!)日本にとって恐ろしいばかりの世界の現状を縷々紹介した上で、では日本に残された道は? と問う。
以下の二つの点が見つめられていたかと思う。
一つは、<日本の水田:270万ha>のうち、現在その約4割が<休耕田:100万ha>となっており、その休耕田で "飼料米" などの米作を再開すれば、小麦粉の輸入量に匹敵する収穫が見込めるという方策なのである。
"飼料米" は、 "主食米" よりも多くの収穫を可能とし、これを "米粉" として活用するならば、家畜飼料の輸入トウモロコシに替えることのみならず、パン・ラーメン・うどん・パスタ・ケーキなどさまざまな食品への展開が十分に可能であるらしい。
したがって、この方策の実現を大いに期待したいと思えた。
いまひとつ点は、今日の冒頭でも書いた点、 "節約" 問題に関係している問題だ。
とある調査によれば、家庭ゴミ(生ゴミ)の中で、 "未開封で捨てられる食糧=「手つかずの食品」" の比率は28%に上るらしい。
そして、<日本の食べ残し食品 年間900万トン(160億食分)>という事実があり、この規模は、<世界の食糧援助量 年間590万トン>の1.5倍に当たるのだそうだ。アンビリーバブルな事実である。
<食糧の6割を輸入に頼りながら、大量の食品を捨てる日本>という、この矛盾した事実こそを、もう一度じっくりと見据えていいと思えた...... (2008.10.20)
コメントする