"方向感" については、やはり株式市場での株価の動向などでしばしば見受けられる。もっとも現時点は、金融危機、経済不況の煽りで大きくは "下げ・反落" というマイナス "方向" に変わりはなさそうだ。
ただ、このところの日々の株価変動を見ていても、まるで "ジェット・コースター" のように激しく上下動している。その変動幅が何百ドル、何百円という大きな幅であり、ちょっとした "材料" に対して過敏・過激に市場は反応している。この辺から、市場の動向に "方向感がない" と言われる理由があるのだろう。
有り体に言えば、金融危機なり、経済不況なりの正体が掴めず、現状認識が極度に揺らぐところから "方向感" のない取引が展開しているということになるに違いない。
しかし、翻って現状のいろいろな領域を振り返ってみると、こうした "方向感" のない動きというものは、あちこちに見受けられそうな気がしないでもない。
米国による "核" を巡る政策にしても、対北朝鮮対応の揺らぎは一体 "方向感" があるのかと疑わせる。 "テロ" 対策にしても、いくら交渉上の戦術だとは言っても、ここに来て北朝鮮への "テロ支援国家" という指定解除という対応の場当たり性、つまり "方向感" の無さには恐れ入ってしまう。
"原油価格" 問題にしても、現状は一頃の高騰期の半値水準に下落し、あの原油高騰期のさまざまなパニック状況を思い起こすのに苦労するほど様変わりしてしまった。オイル・ファンドのいやらしい事情が仕出かしているとはいうものの、ここにもまるで "方向感" が感じ取れないような状況がありそうだ。
国内に目を移せば、言うまでもなく、あの "内閣解散" 推移の "方向感" の無さは一体何だ、と思わされる。世界的金融危機のドサクサに紛れて、恥も外聞も節操も、もちろんポリシーもなく、おまけに、頼みの綱であろう内閣支持率向上の目算もなく、様子眺めをしようというのは、まさに "方向感" の無さを地で行く格好そのものであろう。
もともと、政府自民党政治の最大の特徴が、ご都合主義、状況主義、政局主義、要するに裏を返せば "方向感" の無さということだったかと窺える。農業政策にしても、教育政策にしても、そして少子高齢化問題、年金問題にしても、場当たり対応と問題先送りの継続で終始してきた。そして、こうした長期的展望を踏まえた政策のほぼすべてが現在破綻してパックリと不気味な口を開けている状態だと言えそうである。
だから、事、この日本について言えば、元々が "方向感" の無さで突き進んできたと言えるのかもしれない。もし、 "方向感" らしきものがあったとすれば、対米依存という基本姿勢がそれに当たるのだろう。
ところが、ここに来て、米国自体がこれまでのパックス・アメリカーナとしての強気路線を維持できなくなり、 "方向感" を失い始めたわけだ。そして、外交路線においても、北朝鮮政策で日本と事実上約束をしていた "拉致問題" を、単独で外してしまうような、対日関係における "方向感" のない選択をするようにもなったわけだ。
こんな最近の事態が、日本の国内外の進路に関する "方向感" の無さを助長し始めているのかもしれない。
言うまでもなく "方向感" を持った進路というものは、内在的・内発的なポリシーの構築によって生み出されるものであろう。確かに、グローバリズム状況にあっては、それを推し進めることは以前よりもさらに容易なことではなくなっていそうだ。
しかし、いろいろなジャンルにおける一国の進路選択、 "方向づけ" なくして、 "方向感" は生まれようはないし、この国、この社会で生きる者たちの日々の生活にも "方向感" は生まれにくいはずである。
そして、 "方向感" のないところに、 "持続性" もまたうまれようもないのかもしれない...... (2008.10.19)
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