以前から、人の "泣き、笑い" について興味深いことが言われていた。もちろん、人は、楽しかったり可笑しかったりするから "笑い" 、寂しかったり悲しいから "泣く" わけだ。だが、その "逆もまた真なり" 、という点への着眼が興味深いわけなのである。
子どもの頃、TV番組のニュース・ショーであったか、とある "指圧師" が、わざと "笑う" ことの効果をアピールして、皆でご一緒に笑いましょう、というのがあったかに覚えている。確か、その際、<指圧のこころは母心、押せば命の泉湧く......>といったセリフを口にしていたようだった。その指圧師の円満な風貌と押しの強さ(指圧師だから当然か?)は、それなりに説得力を持っていたようだ。
また、自分は "落語" が好きなのだが、しばしば耳にしてきたのは、 "笑う" ことは身体に良いことであり、健康の元であるという点である。
これらの背後には、多分、上述の "逆もまた真なり" という点が潜んでいそうである。つまり、わざと "笑う" 表情や動作は、あたかも "楽しかったり可笑しかったりする" 身体の状態や脳の状態を誘発するようだし、また "泣く" 表情や動作は、あたかも "寂しかったり悲しい" 身体の状態や脳の状態を誘発するようだ、という点のことである。
(今、唐突に思い起こしたが、食べ物についても同様のことが発生するようであり、やむを得ず "即席ラーメン" などを食べ続けると、いつしかそれが "好物" となってしまう現象が生じるとか......)
こうしたメカニズムのことを、 "エンボディメント(身体性)" と言うそうである。先日のNHKTV番組<プロフェッショナル>で、脳科学者・茂木健一郎氏が紹介していた。
ちなみにその番組では、<脳科学的プレッシャー克服法>として、二点が挙げられていた。
<苦しいときにも、あえて笑う>ことが効果的で、<口角を上げるだけでもポジティブに>なるそうだ。
また、<本番前に「決まり事」を持ち、集中モードに>入ることができること、その際には<体を動かすことが大事>だという点などが強調されていた。
要は、人間の内面を含めた日常状態をコントロールするには、脳における理性や意志の働きだけではなく、身体を通じて(身体を媒介にして)働きかけるということが有効だというわけなのであろう。
そして、身体というものは、脳からの指令で動くだけではなく、脳に対していわば "フィードバック、突き上げ" を行う機能をも持つという点が実に興味深いわけである。
こうした脳と身体の機能との関係に今さらのように着目したいのは、現代という時代が、情報化社会( "脳化" 社会)の時代だと強調されて、情報とそれらを処理するとされる脳の働きばかりが過剰に重視され、人間の "身体性" が軽視されていそうだと感じざるを得ないからなのである。
しかし、それでも万事恙無く展開し、回っているのであったならばことさら気に留めることもない。だが、どうも、人間の "身体性" が軽視されて脳と情報ばかりが偏重される風潮の中で、いろいろな不都合が発生し続けているかに思える。
昨日書いた<"前頭葉" 機能主導型>の発想に伴う問題などもこの不都合に類すると思えたわけである。
詳細についてはまた機会を改めて書きたいと思うが、直感的に考えることだけを書いておくならば、人間という存在がもし "身体性" を度外視して、脳の働きと情報との関係の平面だけに埋没するならば、どうも出口なしの "袋小路" に迷い込むことになりはしないかという感触を持つのである...... (2008.10.23)
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