"底" が次々と抜け落ちて、足場が得られない、といった感触だ。
<日経平均大幅続落、終値811円安の7649円 5年6カ月ぶり安値
24日の東京株式市場で日経平均株価は大幅続落。大引けは前日比811円90銭(9.60%)安の7649円8銭と2003年4月28日に付けたバブル後安値(7607円88銭)に急接近し、5年6カ月ぶりの安値水準に落ち込んだ。世界的な景気減速で企業業績の悪化懸念が強まる中、外国為替市場で急ピッチな円高が進み、業績悪化懸念から主力の輸出関連銘柄に売りが膨らんだ。リスク資産である株式の持ち高を減らす処分売りが続き、引けにかけて見切り売りも膨らんだ。顧客の解約に備えたファンドの換金売りや、信用取引の追加保証金(追い証)の発生に伴う個人の売りも出たという。前日大引け後に今期業績予想を下方修正したソニーが大幅安となり、市場心理全体が悪化した。......>( NIKKEI NET 2008.10.04 15:10)
この日経平均株価の "滑落的な下落" の一因は言うまでもなく急激な "円高" 為替がある。現時点では、<95.32~95.36 前日比▼-2.36 (円高)>となっており、加えて、この二、三日の間に "対ユーロ" 相場も、<121.54~121.64 前日比▼-3.68 (円高)>となってしまっている。
これでは、日本の大手輸出産業は目も当てられない打撃を被ってしまう。 "対ドル" のみならず "対ユーロ" でも激化してしまった "円高" 状況による衝撃は、計り知れないものであろう。
どこだかの国の首相は、相変わらず、日本やアジアの実経済は安定している、と述べているようだが、現況の問題の本質はそんな発想ではカバーできないはずだろう。それが、グローバル経済時代のメカニズムというものだ。
ここは、あまり "円" を買いかぶられないように、 "いやぁー参った参った、これは大変だ、困った......" と、世界に "泣き" を入れていくべきではなかろうか。くれぐれも "円" の安定性なんぞという有難くない印象を持たれて、買われてしまわないようにしたらいい......。
この金融・経済危機をはじめとした社会不安、世界不安の材料は、否応なく人々に悪影響を及ぼしているものと思われる。つまり、この状況を認識する人しない人、感じ取る人取らない人にかかわらず、押しなべて人々に重苦しいプレッシャーとストレスとを間断なく与え続けているというわけだ。
とは言っても、常に上品な市民であることを "強要" されているのかもしれない現代人たちは、それほどに狂おしい気持ちを外には出そうとはしないようである。まして昨今の日本人は "怒らない" ことをマナーにしているようでもあるから、パッと見は、皆、恙無い生活をエンジョイしているかのような、そんな錯覚をさせられてしまいそうである。
しかし、それはとてつもなく不自然かつ問題含みの事態であるのかもしれない。つまり、否応なく人々に "入力" されてしまった "不安材料" は、何らかのかたちで "出力" しない限りは、 "内部に蓄積" されて計算外の結果に行き着いてしまう、と推測されるからなのである。昨今の病気の " 定石"とさえ言えそうである。
実は、自分が不覚にもこのところ背負い込んでしまっていた "頭痛" が、どうもこうした蓄積ストレスの産物だったようなのである。
てっきり、持病の "偏頭痛" が定期巡回してきたものと思っていたのだが、何となく痛み方が異なるようでもあるため、念のためにと思って、以前かかったことのある専門病院に行ってみた。すると "緊張型頭痛" の典型です! と診断されたのである。
これは、脳自体の症状というよりも、頭部および首筋からつながっている "筋肉" が何らかの原因によって "緊張" し続けることにより、いわば頭の内部で "肩凝り" 現象と同様の症状が生まれ、それが "頭痛" として感覚されるというものなのだそうだ。
そして、こうした現象が発生する原因は、長時間のデスクワークなどいろいろとあるようだが、最もありがちなのが継続的な "ストレス" だということであった。
そう診断されてみると、いかにも現状の日々に即した実に当を得た診断だと思えてきたものであった。確かに、意識上でも、悶々とする日々を送ってきたに違いないわけだが、それと同時に物言わぬ "身体" の部分にも多大な "マイナス作用物" を蓄積させてきたのかと、痛感させられた次第なのである。
処方されたクスリは、いわゆる "筋肉弛緩" の機能を果たすようなものであったが、服用してみると途端に当該 "頭痛" の痛みが、まるでギブスを外したかのように解消したのには驚いてしまった。
もちろん、クスリは、 "身体" の不具合に対しては効いても、ストレスの元となっている日々の生活不安そのものに対しては何らおかまいするはずもない。日々の生活課題や経営課題に関する処方箋は、別途、自身の頭脳と行動によって生み出すべきである。当然のことだ。
ただ、 "身体" の各部がいろいろと "支援してくれる" 状態であるのか、あるいは "足を引っ張られる" 状態であるのかでは雲泥の開きがある。歳とともにそのことが身に染みて感じさせられる。
と同時に、 "支援してくれる" 状態の "身体" に向けて、相応の気配りをするということもあだや疎かにできないと痛感する。 "身体" というものは、黙して耐え続けるものの、ある時突然に "バタリ" と倒れてしまうものでもありそうだからである...... (2008.10.24)
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