メディア環境にしても、かつてはあったような気がするが "文化の日" にちなむ番組も特に見当たらない。(TVディレクターであった "吉田直哉" 氏の業績を紹介した "テレビの可能性" という番組だけは興味深く観た)せいぜい、ニュースで "文化勲章" などの受勲に関する報道があるだけのようだ。
時代環境に "文化" 的な要素が希薄、散逸しているかのような現状、そして "文化" という概念自体が掌握しにくくなっている現状などが、 "文化の日" と銘打った祝日を捉えどころなくしているのだろうか。
"文化の日" とは直接関係しないが、このところ "源氏物語" という "文化" が、紫式部生誕千年ということなのか持てはやされているようだ。生憎と、 "源氏物語" については馴染みが薄く何とも感想が持てないでいるのが残念だが、これなどは "文化" の視点で関心が持たれてもよさそうだ。
"文化" について大仰に議論できる立場ではないが、今、ひとつだけ関心を持つとするならば、 "生活文化" について、特に、ことによったらズタズタにされているのかもしれない "人と人との関係" という現象に関心が向く。これは、多分、 "文化" の根源的なテーマではないかと感じる。芸術全般にしても、短絡的に言えば "人と人との関係" に添うものだと思えるし、さまざまな形となった "文化" にしても、その意義はつまるところ "人と人との関係" の問題に帰着するのかもしれない。
上記の "源氏物語" に "文化" 的意義があると考えられるのも、千年も前の時代に、男女の関係を軸とした "人と人との関係" が詳細に見つめられ、言葉として定着されていたという点が賞賛に値するからなのかもしれない。
仮に、 "人と人との関係" を見つめることを "文化" の重要な要素と見なすならば、現時点においては、やはりかなり悲観的な見解とならざるを得ないのかもしれない。
極論するならば、 "文明" こそは輝きを示しているのかもしれないが、その陰で "人と人との関係" の質を見つめる "文化" は惨憺たる状況に至っているとも見える。
"文明" は、 "人と人との関係" にアプローチする際にも、その質を問う視点よりも量的な面での効率性に焦点を合わせそうである。そして、まさに現代の、ITが駆使された技術環境、インターネット環境の社会は、その原理によって仕切られているはずだ。
それはそれで人間の生活の物的環境水準を大きく前進させはしたものの、やはり、 "文化" の領域に属すると思われる価値を度外視し過ぎる結果を招いてもいそうである。
"文化" において重要な基本要素となるに違いない "言葉" 自体が崩壊の危機に瀕しているとさえ言われたりするようでは、もはや小手先では修復不能なほどに、事態は深刻化しているのかもしれない。
勝手な憶測でしか過ぎないのであれば幸いなのだが、 "文化の日" でありながら "文化" に関することがさほど話題にならないのは、ひょっとしたら、もはや話題にさえしにくいほどに "文化" というものが、現状では場違いな存在になってしまったのであろうか...... (2008.11.03)
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