最近、大学生たちが "大麻" という違法薬物に汚染されているという事件が頻繁に報道されている。多分、発覚している事実はほんの氷山の一角であり、 "大麻汚染" の実態は想像以上ではないかと推測される。
そして、しばしば解説されるように、 "大麻汚染" の怖い点は、決してその域に留まることなく、やがて "覚せい剤" などの危険性がより高い薬物へと誘われることだろう。もしや、そこまで突き進んでしまった "薬物汚染" とて、実態は驚くべき蔓延ぶりなのではなかろうか。
思うに、関係当局は、こうした危険な実態については時代社会に警告を鳴らす意味でも、実態の事実を広く公表して、社会問題として対処する空気を作り出すべきかと思う。また、薬物医学に関する有識者たちは、もっと社会的観点に立って啓蒙活動に精を出すべきかと。また、医療費コストの点から予防医学にために目を向け始めた行政サイドとて、今後さらに薬物汚染患者が増大したならば、どんなに大きなコスト負担となってしまうかをもっとシビァに見つめ、その対策を講じる必要があるのではなかろうか。
事は、 "暴力団の資金源" という観点からだけではなく、不条理で残忍な犯罪を誘発する土壌を広げて市民生活を脅かすとともに、あたら若い世代の精神荒廃を取り返しのつかないかたちで広げてしまいかねないからだ。
そして、昨今、これだけ若い世代に忍び寄っているという事実は、この風潮が相当の "感染性" を秘めていると先読みしてもいいのではなかろうか。望ましいことは "感染" しにくい時代環境であっても、イージーに個人的な "快" をもたらす事柄については歯止めなく広がっていくであろうことは、まさに現代という時代環境の最大の特徴なのだろうと見受けられる。
言われているところでは、 "大麻" の煙を吸引することは、脳の神経伝達物質を撹乱させて、一時的に<高揚感>を醸成させたり、<諸感覚の鋭敏化>をもたらすというような "酩酊" 状態を得させるらしい。
そして、決して楽観できない点は、その脳内で生み出される感覚はほぼ確実に "依存性" を強め続けるという点なのであろう。タバコの喫煙ですら、一定程度継続するならば、脳内メカニズムはニコチンへの依存性を確実に強めるらしい。(注)
(注)
<動物実験などの知見から、ニコチンは明らかな依存性を持つことが知られている。ニコチンは、神経伝達物質であるアセチルコリンに分子構造が類似し、ニコチン性アセチルコリン受容体(レセプターとも)に作用することで、中枢神経のドパミン神経系、特に脳内報酬系を活性化する。そのため、摂取後に一時的に快の感覚や覚醒作用が得られる。このような報酬系を介した薬理作用は、覚醒剤など依存性を有する他の薬物と共通である。>(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
規範逸脱をさりげなくやらかしてしまうような "自制心" のない若者が、動き始めてしまった脳内反応に基づく "依存性" を、自力救済的に断ち切ることはほとんど不可能だと言っていいのではなかろうか。たかが "禁煙" をするくらいで、七転八倒してきた自分としては、そんな残念な成り行きが十分に推測できてしまう。
理想論的なことを書くようだが、本来、<高揚感>や<諸感覚の鋭敏化>という脳内現象は、日常生活での知的活動やその他、集団内活動によって十分に自前で入手可能な心的現象のはずである。この辺は、脳科学者の茂木健一郎氏に聴くまでもなく一般的なことであろう。ただし、当然のことだろうとは思えるが、この脳内成果を得るには、相応の継続的な努力や訓練が前提となる。
しかし、大学生などにとっては、これしきの事は当たり前だと言っていいはずである。こうした、<努力・訓練と脳内成果>というセットプロセスを経験してこそ、自力で思考が続けられる大人になってゆけるというもののはずであろう。
だが、現代という時代環境は、何事もカネを出しさえすれば外部にあるモノを入手可能となっているし、またそれら(薬物)によって自身の脳機能を "騙す" ことも可能であるかのように目に映る。
また、過剰な "個人主義的風潮" は、個人尊重という大義名分と裏腹に、個人単独ではムリっぽいことをも個人的処理で済まさせようとしているかのようだ。大学生くらいの若者が、集団の中でもまれることなく個人思考を進めるというのは、まるで綱渡りでしかないと言えそうな気がしている。
かくして、孤独な若者たちが、恐ろしい薬物へと道を踏み外して転げ落ちて行くとするならば、何とも悲惨な社会的風潮だという気がしてならない...... (2008.11.17)
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