"情" も移りはじめ、できることならば飼い続けてやりたいところだが、わが家には既に二匹の内猫が先住している。彼らとの間で、ひと悶着もふた悶着もありそうなことが当然推定されるので、できればどこかに貰われて行くべきだと考えてはいる。
そのケージは、二階に置かれ、階下の先住組に気づかれないようにされている。そして、時々、二階の部屋でケージから出してもらい遊ぶことになる。ケージから出ると、喜んで部屋中を "探索" しはじめたりする。身が小さいものだから、興味津々の様子で家具やガラクタの隙間に潜り込み、 "保護" 者はその姿を見失うこともしばしばである。
餌は "子猫" 用のキャッツフードを小さな瀬戸物の入れ物に入れて与えている。最初は、見ている方が心配するほどに貪りついて食べる。が、やはり "子猫" の胃袋は小さいようで、半分以上を残す。
その時、満足そうに静かにその餌入れから離れる場合があるかと思うと、 "奇妙な仕草" をすることもあったりする。あの、猫特有の "掘り掘り" の仕草なのだ。つまり、手で餌入れの周囲の床を掘って、まるで戸外ならばそこにあるであろう土や砂をかけるかのようなそんな仕草をするのである。
階下の大人猫たちも、マグロのフレークの餌などをやった時には、一応気の済むまでは食べたその後、 "掘り掘り" の仕草をすることがある。もちろん、自分が粗相で吐いてしまったものに対してはそうした仕草をし、さら片方の猫なぞはご丁寧に、近辺に放置されていた新聞紙や座布団まで寄せ集めて被せたりする。家人にとっては後始末の手間が余計にかかることをするわけだ。
そんな大人猫たちの仕草を見聞していた時、こうした"掘り掘り" の仕草、いわゆる "猫糞(ねこばば)" の仕草は、親が教えたりした結果の学習行為なのだろうか、などと考えたこともあった。
しかし、今回、奇しくも(と言うほどでもないか) "子猫" がその仕草を見せたことで、これは遺伝的な習性なのだということがわかった。
生存競争の過程のどのような経緯でそうした習性を遺伝子に刻み込んだのかは知らない。敵に自身を知らせまいとする意図かもしれないし、また、食べては危険なものを隠して排除してしまおうという意図があったのかもしれない。腐敗臭のするものを遠ざけようとする意図だとするならば、それなりに賢い動作だとも思えたものだ。
そんなことで、こんなに小さな "子猫" にも、種の生存に関わる(のであろう)基本的動作がしっかりとバトンタッチされているのだと知らされたことは、ちょっとした驚きだったのである。
しかし、次第に冷え込みはじめた最近の戸外に、無慈悲にほっぽり出される可能性に対する防御姿勢は微塵ともなさそうである。その危険を回避する方が、生存にとってははるかに重要な課題であるはずだろう。
もし、その危険回避策が備わっているとするならば、ちょいと優しそうな人間に対して、精一杯に憐憫の情を掻き立てる愛らしい仕草をすることがそれなのであろうか。だとすれば、その策は、どうやら奏功しつつありそうだからこれもまた大したものだと言うべきか...... (2008.11.28)
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