とっさに感じたのは、 "見覚えがない" ということであり、そこから来るどこか "怪しい" という感触であった。自分とて、常に自宅付近でたむろしているわけではないので、近所の人やそこに出入りしている人たちをくまなく知っているわけではない。しかし、 "見覚えがない" という点と "怪しい" という感触を自覚せざるを得なかった。
その男の身なりというのは、薄汚れた感じのジーンズに何やらシャツだかセーターだかを着込み、その上に白っぽい色だがこれまた薄汚れた感じとなったジャンパーふうのダウンジャケット、それは何だか窮屈そうな感じであったが、そんなものを羽織っていた。
顔つきは、細身で、いわゆる爬虫類ライクな感じで、今風の細く小さなメガネを掛け、野球帽を被っていた。妙に無表情で、仮面を被ったようにさえ感じられたものだ。
また自転車は、決して普段手入れをして愛用しているような感じではなく、カシャカシャキーキーと擦れる音をさせていた。ハンドルの前のかごには、何か黒っぽい小物が入っているようだった。
こうしたすべてが、自分がこの近所の雰囲気として得ていたものとズレていて、その分 "違和感" を与えたのである。
自分が、袋小路から出て行こうとしているのに対して、その男は何食わぬ顔をしてゆったりと自転車をこぎ、中へと滑り込んで行く。よほど、どなたかの家をお訪ねですか? と声を掛けてみようかと思った。
が、それを逃した自分は、立ち止まって振り返りながらその男の動きを見つめることにした。もし、先方が訝しげに思って何か声をかけてきたなら、その時には逃した言葉を口にしようと思っていた。
しかし、その男は、一番奥までは行かずに途中でUターンして出て来た。そして、自分がウォーキングに向かう方向とは反対方向へとゆったりと自転車をこいで遠のいたのだった。
最も好意的に考えてみると、休日の朝のサイクリングということになろうか。だが、普通、気分転換なり、スポーツの意味なりのサイクリングということであれば、もっと別なルートを選ぶのではなかろうか。何も住宅地の袋小路を覗き込むような選択をするのは不自然であろう。また、サイクリングというのならば、カシャカシャキーキーと音を立てる自転車に平気で乗るものだろうか。少なくとも油くらいは注して、快適さを目指そうとするだろう。自分に言わせれば、その自転車は、いつどこで乗り捨てたとしても惜しくはないといった代物でしかなかった。
こう書いていると、自分が、その男に対して決して好意的ではないということが自分でもありありとわかる。
その通りなのである。というのも、この続編がそうさせているのかもしれない。
上記のように、不審に思うことがあったのが一度だけであれば、ここまでは書かない。ところが、今朝、自分は再びその男と遭遇したのであった。それも、最初に彼が走り去った方向とは全く逆方向の場所、自分がウォーキングからの帰路としている場所だったのである。どうも相手は気づいていなかったようでもあったが、自分は、最初に不審に思ったからだろうかその様子を良く覚えていて、思わず、あっ、と思ったものだった。
その道の近辺も、決して表通りというよりも裏通りに属するのかもしれない。自分は、ウォーキングの帰路におふくろの様子を見るためにあえてそこを通っている。
こうして、不審な挙動をする(?)人物を、一時間足らずの間に、全く異なった場所で二度も見てしまうと、何か因縁めいたものさえ感じたりしたのだ。
以前、隣家の人が、空き巣の下調べといった様子が濃厚な不審な男のことを教えてくれたことがあった。まるで、ベランダ越しの侵入口を調べるかのように覗き込んでいるのを目撃したという。そして、その時も、隣家の人の目に気づき、 "自転車に乗って立ち去った" と聞いていた。
現時点のような、不景気でかつ荒んだ世相にあっては、 "他人から何かを奪う" という行為はその種の人間にとっては何ほどのこともないのかもしれない。
人を信じる信じないといった次元の話というよりも、 "無感覚" となってしまっているはずの不心得者たちが、堪え性なく罪を重ねることが事実上不可能という環境を作り上げてしまうことが予防策なのだろうと思っている。
振り返ってみれば、物理的環境もさることながら、現在の地域社会、近隣地域の現状は決して安全ではないと思われる。というのも、住民各家々の大半が相互の関係を持たずにバラバラの状態となっているようであり、これはまさに外部からの不審者にとっては "これ幸い" と見える点ではなかろうか。
"百年に一度の異変" が全世界の世相を撹乱している現在、決して誇張でもなんでもなく、 "何でもあり" のような "異変" が所構わず発生する可能性が高いと言えそうだ。
生活近辺での様々な "犯罪" に、そしてマクロな次元では "テロや戦争" が......。やはり、世界が "危機モード" へと舵を切ってしまったことを認識すべきなのだろう...... (2008.11.29)
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