歩道に面したそれぞれの事務所では、そうした落ち葉の清掃をする者たちが目立つ。と言っても、それなりの間口を構え、複数の従業員たちを抱えたそこそこの規模の会社や事務所ということになろうか。比較的大きな不動産会社、クルマのレンタル会社、クルマの新車ディーラー、タイヤの整備工場などなどである。個人自営業の店舗はそんな余裕すらあったものではなさそうだ。
顧客の来店時にスリップでもさせたのでは責任問題になりかねない、という理由も予想されるものの、どうも雰囲気的に言えば、 "ヒマ" だからという点が有力な根拠だとも見える。
いかにも "ヒマ" そうに見える部下たちの姿を見るに見かねた上司が、
「事務所の前の落ち葉の片付けでもやってもらおうかな。顧客側がスリップ事故でも起こしたら面倒だしな......」
とでも言って指示を出したものかと想像できる。
従業員たちはといえば、自宅ではほうきなんぞ持ったこともないような妙な手つきをしながら対応している。
「ヒマねぇ、今日もずっとこんな調子かしら? 先月、~子が辞めさせられて、今度はアタシの番ってことかしら......」
と、場違いなほどに厚化粧をした片方の女子事務員が言うと、
「ヒマなのもイヤだけど、店長のあの眉間にしわ寄せた苦しそうな顔見てんのが結構つらいのよね。別にヒマなのは店長のせいでもないのに、その辺が仕事上のつらいとこなんでしょうね......」
と、もうひとりの女子事務員が応えたりする。といっても、そう聞こえたのではなく、そんな会話でもしていたように見えたのである。
不景気でヒマな時に、自身が一体何をすればいいか、あるいは部下たちに何をやらせればいいか、それが問題なのだ......、と言わなければならない。また、それが簡単なようで、実は意外と難問だったりする。とりわけ、今回のようなマクロな金融・経済危機をベースにしてしまうと、まるで "焼け石に水" という言葉が大手を振って闊歩するがごとき負け戦ムードが漂ってしまっているからかもしれない。
上に立つ者たちがこんな調子だとすれば、指示で動く現場の従業員たちは、ヒマだからありがたいなんぞと感じている場合でもなくなっていよう。不安と苦痛とをない交ぜにしたような居心地悪い心境に沈んでいるとも言える。
では、上に立つ者(経営者を含む)たちは何をどう考えればいいのだろうか。この問いに的確かつ有効な解が簡単に見出せれば何の苦労もない。 "できない理由" をごまんと列挙することはできても、なかなかこれというような "妙案" が浮かばないのが大方の実情であるように思える。
とすれば、畢竟(ひっきょう)、そんな "妙案" なんぞはあり得ないと言ってみたくもなる。というのも、とかく "妙案" にすがりたがるのは、眼に焼きついた "バブルっぽい" 過去の再現をどこかで期待しているからのように思えるのだが、今回のマクロな金融・経済危機は、 "一連のバブルの集積的な破綻" だと言うべきなのではなかろうか。
つまり、 "バブルっぽい" 経済状態は、その余波が残ったり、あるいはかなりの時間経過の後に焼けぼっくいに火がつくようなかたちで一部生じることはあったとしても、しばらくの間は再現されないのが筋であろう。
だから、 "バブルっぽい" 感性がこびり付いた "妙案" なんぞは生まれようがないと考えた方が理に叶っていそうだからである。
また、どう考えたって、この何十年間をビジネスに関与してきた者たちの発想には、自分も含めて、 "バブルっぽい" 感性が野放しされてきた形跡が濃厚にあるのではなかろうか。極端に言えば、経済活動やビジネスとは、この "バブルっぽい" 風潮の波にどうサーフィンするのかと心得てきた嫌いがあるのかもしれない。
確かに、その延長線上に、今回のような "カジノ" 的マネーゲームや過度の金融経済が生まれ、そして破綻するというような生々しいことまでは想像できなかったとしてもである。しかし、 "バブルっぽい" 風潮というものは、結局、 "必然的な軌跡" を描き切って相応の破綻を成就してしまったようである。
そんなことで、 "100年に一度" とも言われる危機を迎えた今、否応なくやるべきことは、先ずは取って付けたような "妙案" 、多分その実現性がきわめて乏しいに違いない "妙案" を追い続けるのではなく、むしろ "バブルっぽい" 感性を外した時に何が現れてくるのかをクールに自覚することではないかと思われる。その先は見えていない。
そう簡単に見えてくるわけもなかろうが、それを受け入れる以外はないような気がしている...... (2008.12.05)
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