年賀状の準備という今頃になると、誰しもが目にしたくはない「喪中につき......」という葉書が届いたりする。今年は、すでに3枚も手にしており、いささか沈鬱な気分となっていた。
そんな折り、決して考えたくはなかった知人の "死" 、癌で長い間闘病生活をしてきた知人の "訃報" が伝わった。昨夜10時頃、見舞いで通い詰めていたご家族が帰宅した後、病院で静かに息を引き取ったという。
もうかれこれ10年になろうとするのではなかろうか。何回も入退院を繰り返し、その度にきつい抗癌治療を重ねているようだった。当初は、脱毛などを恥ずかしげにする彼に、まるで前線からの帰国兵に手柄話を聞くごとく、抗癌治療の実態やら医者との会話のやり取りの様子やらを聞かせてもらってきた。ご本人も、これであわよくば再発が抑えられるのではないかとの期待を踏まえてか、軽口を叩いたり冗談話に花を咲かせていた頃のことである。
現に、幸いにも退院後一年以上も癌の兆候は消え失せ、安堵感に恵まれていたこともあったようである。しかし、結局それは長続きせず、再検査の結果、再発部分や転移部分が見つかってしまったのである。そこから、再び、三度と入院を繰り返さなければならない経緯が始まるのだった。
それでも、彼は人一倍気丈夫であり、その苦痛と不遇にめげることなく立ち向かっていた。正直言って、もし自分であったならばあのように振舞えるだろうかと、内心感心したり尊敬したりするほどに、彼はタフに振舞い切れていた。こちらからそんなことを口にすると、いや、独りになるとこれで結構心細い思いをしてるんですよ......、と漏らしていたこともあったが......。
訃報を耳にした時、やはり驚きが隠せなかった。そして、ああ、もう二度と彼と冗談口を叩くこともできなくなった、と思うと、人の "死" というものは、こうして唐突に到来し、あたかも永遠に続くと錯覚させられてきた日常の時間の流れが、容赦なく断ち切られるものなのか......、とそんな厳粛な思いにさせられた。
実を言うと、二週間ほど前であったかと思うが、そろそろ退院という言葉も聞こえていた彼の入院に対して、自分は、病院へお見舞いに行こうかとも考えたのだった。
その証拠に、彼の自宅を訪ね、その意向を奥さんに伝えたり、病院の所在地を聞こうとしたりしたのであった。ただ、その時は、現在、気管支に異常が発生していて喋ることができないのでもうしばらくしてからではどうでしょう、という奥さんの言葉に従うこととしたのだった。
いまから思えば、どんな対面となろうともむしろ会っておけば良かったという後悔めいた気持ちが残っている。
ことによったら、何か "胸騒ぎ" でも感じていたのであろうか......。退院という言葉も聞いていたので帰宅されてからお見舞いをしても良さそうなところであろう。それを、入院中のお見舞いということを考えたのには、場合によっては何か捉えどころのない不吉な脈絡を感じとっていたのであろうか......。
ところで、振り返ってみると、抗癌療法を中心とする癌治療というものはどう考えても "残酷" だと思えてならない。もちろん、治療のために直接的に "攻撃" を加えるのは癌の患部、細胞なのではある。が、同時に正常な部分の生命活動の水準をも併せて引き下げてしまうという副作用が、どう考えても残酷だと思わざるを得ないからである。脱毛するというような現象はまだましな方であり、とにかく一切の元気というものが抜き去られるようなそうした虚脱感に陥れられるからである。
いざ抗癌治療をはじめてしまうと、がんばろうとする気力自体が萎えさせられてしまうのであるから、その点が "残酷" 以外ではないと思えるのである。
人の身体だけではなく生物という存在全般は、膨大な時間の流れの過程で、自然治癒力に象徴されるような絶妙な構造を獲得してきたわけだ。そして大抵の病であれば、その内在的な力を信じることが最大の治療につながったりする。
ところが、癌ばかりは、その構造やベクトルに相反し、逆行してしまうために、自身の生体が秘めた生への志向性を信じることさえ難しくなる。さらに、現在唯一の治療法だとされる抗癌治療というものが、闘病の支えであるはずの気力そのものを損なわせるものだとすれば、やはりこれ以上残酷な疾病はないと言うべきだと思えるのだ。
そう言えば、先日、上記のようにお見舞いの件で奥さんとお話をした際、奥さんが奇妙なことを言われていたのを思い起こす。
「ご本人、今回は結構参っているのかもしれません。何を言い出すのかと思ったら、自分の "へそくり" の場所を教えたりするんですよ......」
病院側が言う "退院" の言葉とは裏腹に、彼自身はやはり、今度は参ったなぁ、と尋常ならぬ予感をしていたのであろうか...... (2008.12.08)
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