まあ、それだけではなく、健康のためにと定めたことを天候のあれこれによって反故にはしたくないという気持ちがもちろんある。よほどのことでない限り、雨だから風だからと言っていたのでは、ほどなく怠惰に流されることは目に見えているからだ。
ところが、境川に近づきその流れを見るや、あっ "迂闊" だった、川の流れが降雨で濁ると、鯉たちは水底に沈んで避難するのだった、と気づいたのである。
大した降雨でもなさそうであったが、川の流れは茶色く濁って水量を増していた。鯉たちの姿なぞとんでもないが見えるはずもなかった。また、たとえ食パンのさいの目切りの餌を撒いても、鯉たちが気づくことなく流れ去り、下流へ下流へと、そして江ノ島の海にまで流される気がしたものだった。
今日の分は持ち帰るほかないか、と残念に思ったが、天候の有りようにもろに影響を受ける鯉たちが何とも哀れだと思えてくるのだった。水底に潜り、ただひたすら流れる水が澄むのを待つ鯉たちの、そんな境遇が目に浮かぶようであった。そのイメージは、どこかで、われわれが現在遭遇している過酷な時代環境とその下での庶民の姿に相通じるものがあるような気がしないでもはなかった。
川の流れの方はそんなふうであったが、遊歩道には、野鳥たち、野鳩やスズメたち、そしてセキレイなどの姿があった。まるで、 "鯉がいないのでしたら、お腰に付けたその餌をわたしたちにくれませんか?" とでも言いたげにして寄って来た。
そこで、パラパラとそれらを撒いてやる。すると、待ってましたとばかりに啄ばみにやって来る。野鳩たちはその場で丸呑みにしてしまう。予想外(?)の餌にありつけたことに興奮しているようでもあり、忙しく動き回りながら、路上に散らばったパンのかけらを手っ取り早く回収していくのだった。
スズメやセキレイはというと、一度啄ばんでみてそれが食べ物だとわかると小さな嘴で咥えてどこかへ飛んで行くから、その仕草がかわいい。安全だと感じる場所に運んでからゆっくりと啄ばむのであろうことは容易に想像できた。
しかし、それにしても思うだに "不遇" な鯉たちは、死んだようになって川底に身を隠しているわけなのであろう。それが定めとはいうものの、実に "割が合わない" 命に定められたものだと同情を禁じえなかった...... (2008.12.14)
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