もちろん、この国の政府の対応の遅さ、後手後手に回っているとしか言いようがないその光景を見せつけられているせいもある。同じ政府であっても、震源地だからということもあるのかもしれないが、米国政府の対応はまだリアルタイム性を持っていそうだ。
日本政府の "横板に鳥もち" 性というのは、政府要人たちの危機管理能力の低さにも原因があるのだろうが、より端的に言えば、政治的判断そのものを "官僚機構" に丸投げしてきたという体質が災いしているとは言えまいか。
"官僚機構" の動きというものが、 "スピード" を要する状況に適していると考える者は誰もいないはずである。いわゆる "官僚主義" 組織が最も苦手とするのが、 "迅速性" だという点は周知の事実であろう。
したがって、今回の危機への対応で、より真剣に考えなければならない重要な課題のひとつに、 "官僚機構" 依存政府という問題が含まれるはずである。
"100年に一度" という表現が頻繁に持ち出されるわけだが、じゃあ、今後100年はこんな危機的状況が発生しないのかといえば、決してそうではないと思える。過去100年の変化の "スピード" にあっては、 "一度" あるかないかの出来事なのかもしれないとしても、現時点のような変化の "スピード" が連なる今後を想定すると、さまざまな危機発生の間隔はますます狭まると推測される。
イノベーションや文明のポジティブな部分の発展だけが、 "スピード" アップするのではなく、その反転としての危機的状況の発生もまた "スピード" アップされてわれわれを襲うという構図が基本となるのではなかろうか。
今回の "金融危機" 発生のプロセスを振り返る時、 "レバレッジ(梃子)" という言葉を象徴的な意味合いで思い起こすのは自分だけではなかろう。端的に言えば、金融バブル状況の立役者は、マネーの力にバブル的威力をもたらした金融的レベルでの "レバレッジ" ルールであり、その成立を可能としたITインフラなどだったのではなかろうか。
なお、この "レバレッジ" 環境はマネーの力を量的に拡大したわけだが、それは同時に "時間経過の圧縮" 効果をも果たしたと言えそうである。これらが、すべての出来事の推移に想像を絶する "スピード" をもたらしたと見なして間違いではなさそうだ。
そして、こうした環境は、しばらくは "規制" 対策などで抑止されることになるのだろうが、大局的には変わりにくいのかもしれない。
さまざまな事象のイノベーションと、その裏腹な関係でのリスクの破局とが、ともにさらなる "スピード" アップへと突き進む時、個人だけではなく組織においても、そして政府においても、飛躍的な "変化・危機対応能力" を持つことが求められていそうである...... (2008.12.20)
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