「申し訳ありません。何せ "システム" がそういうことになっているもので、何ともしようがないんです......」
こういう場合、「そこを何とかお願いできないでしょうか」と食い下がっても、まず願いは叶えられないケースが多い。どんな場合なのかにもよるわけだが、もし、こんな時に、担当者なり係の人が "便宜" をはかってくれたら、それこそラッキーだと言わざるを得ない。その人は、よほど親切な人でそこでのはからいから派生する災いを自身が背負い込む覚悟をしているか、日頃から "システム" というものが内在させた "非合理" な面への憤りをしっかりと胸に秘めているかなのではないかと思う。
しばしば、 "システム" というものの "合理性" や、 "便利さ" 、そして "安定性" などが賛美される。
確かに、法制度の "システム" を筆頭にして、 "システム" というものは不必要に見える種々の軋轢などを抑止する効果はありそうだ。関係者たちが、各々の判断に迷うことなく、 "そういうことになっている" という "システム" 性によって、事態が自動的な流れとなって進んでいくようでもある。
だが、 "システム" といえども所詮は人間技で作られたものであり、いくらでも "バグ" が潜んでいそうである。それを "絶対的" だと言えば言うほど、リアルさを失うのではなかろうか。
今、この時期、さまざまな "危機" が同時多発している。 "金融危機" だけが問題なのではなく、 "実経済危機" に "財政危機" 、 "医療危機" に "年金危機" があり、 "社会福祉危機" 、 "教育危機" 、 "地方自治危機" と、身の回りの大半がそう呼ばれても不自然ではない状態に追い込まれている。
そもそも "危機" というのは、それまで "安定" を売りにしてきた "システム" 性が、実情にそぐわずに "非合理" な面をあらわにし始めることを指すのではなかろうか。
ふと、 "金属疲労" (固体金属材料が力を繰り返し長期間にわたって受けていくうちに、その固体に亀裂が生じたり、強度が落ちたりする現象。金属の強度に対する過大な期待が裏切られ......。 Wikipedia より)という言葉を連想する。が、まさに "システム" というものが見直しに迫られる事態、 "危機" とあまりにも酷似していそうである。
こんなことを今日、書く気になったのは、次のような記事を目にしたからであった。
<...... 就職について地元の市役所などに相談したが「本気で仕事を探しているのか」とあしらわれた。誰も親身に話を聞いてくれない。自殺者が多いと聞いていた東尋坊が頭に浮かび、足が向かった。
電車の移動中に遺書を書いた。所持していた紙は白紙の履歴書しかなかった。その裏にこう書いた。
「おやじ、おふくろ、本当にゴメン。最後の最後までめいわくかけるけど、これが本当に最後だから。いろいろやってみたし、仕事もさがしたけど何をやってもうまくいかなかった。これ以上は無理......」
今年6月、東京・秋葉原の連続殺傷事件の現場に偶然、居合わせた。走り込んできたトラックに目の前の男性がはね飛ばされたのを見て、119番通報した。逮捕された容疑者が派遣社員だったとニュースで知った。「自暴自棄になっていたのは同じ。一歩間違えば、彼になっていたかもしれない。最低限でも生活が得られるような、人を追い込まない社会であってほしい」。男性はそう話した。>(「派遣切られ東尋坊へ 30代男性、遺書は履歴書の裏に」 2008.12.25 朝日新聞 http://www.asahi.com/kansai/kouiki/OSK200812250004.html )
この最後の部分<最低限でも生活が得られるような、人を追い込まない社会であってほしい>に込められた、現在の社会という "システム" が、やはり途方もなくおかしく、ヘンだと思えてならない...... (2008.12.25)
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