まさにこの "100年に一度" の "金融・経済危機" の "お陰" で、まだまだ "還暦気分" なんぞに浸れないとしっかりと言い聞かされた思いである。
ややもすれば、この歳になれば、心身ともに経年疲労というか、不摂生のつけが回ってきたりして、一服するか、の気分に襲われないでもない。
また、 "まだ若い、若い" と粋がる姿勢の空々しさを嫌うところから、妙に "年寄りらしさ" なんぞに目を向けたりもしがちである。
それはそれで無意味なことではなかろうが、大事なことは、降りかかる環境に対して "逃げ腰" にならないことのはずである。その点から考えるならば、「まだまだ、やるぞー」のスタンスに立ち戻ることが正解なのだと感じている。
"100年に一度" の "危機" であるならば、 "だから、しょうがない" ではなく、 "ならば、やってやろうじゃないか" と、これぞ "売られた喧嘩" なのだから "尻尾を丸めて退散" なんぞすべきではなく、 "潔く応戦してやろうじゃないか" と思いはじめているわけなのである。
つらつら振り返ってみれば、この "危機" の発端は、貪欲なカネ亡者たちが "サブプライムローン" なんぞという "イカサマ金融商品" をでっち上げて、 "後は野となれ山となれ" の厚かましさで世界中をたぶらかしたことにあるはずだ。そんな連中のために、実経済で真っ当な経済活動を進める堅気の人々をも悲惨な境遇に引き込んだのだと言える。
したがって、ここは何としても "サバイバル" してやらなければならず、できれば "一矢報いる" くらいのことをしたいではないか。
そんなことで、「まだまだ、やるぞー」となるわけなのである。 "還暦気分" なんぞに浸って、「嫌なご時世になりましたなぁ」なんぞと "高みの見物" ができるわけがない、ということなのである。
何をどうする、については追々に詰めて行けばいいことである。肝心なのは、あくまでも "現役として" 闘い続けるのか、涼しい顔をして "高みの見物" のシルバー・シートに座ってしまうのか、で毅然とした選択をすることであるに違いない。
降りかかる事態を、とかく、しょうがないと愚痴りながら、消極的に引き受けがちになるのが常であろう。しかし、それでは事態の猛威に呑み込まれるのが落ちであろう。
"ドッコイ庶民は生きている" 、と言ってもいいし、あるいは "窮鼠猫を噛む" と言ってもいい。さらに、 "攻撃は最大の防御なり" と言うのも、この際は正しかろう。
いずれにしても、 "ならば、やってやろうじゃないか" というしたたかな "ファイティング・スピリット" ( "根性" でも良さそうなものだが、やや臭いので避けたい)こそが必須だとつらつら思うわけである...... (2008.12.30)
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