これを書き始めるまでに二、三番の観戦を楽しんでいた。
相撲の勝負というものは、凝縮された "技" と "精神力" との掛け算の結果であるため、相撲ファンのみならずいろいろな立場の者を楽しませてくれる。そして、何がしかのことを "示唆" してくれたりするから、なおのこと惹きつける。
まず、 "精神力" の側面に関し、 "気負い過ぎ" という点の拙さの好例を見せ付けたのが、新大関 "日馬(はるま)富士" の呆気ない失敗であろうか。まあ、 同様の拙さで定評(?)がある 高見盛" の負けは愛嬌だとしてもである。
この "気負い過ぎ" という点でどうしても気になるのが、 "朝青龍" ということになろう。 "朝青龍" にしてみれば、今場所が進退の掛かった "正念場" だと自他ともに位置づけられるものであるだけに、その初日は "意地でも勝ちたい" と思っているに違いないからだ。
前日までの稽古風景などを観たりしていると、 "技" の面でも問題なしとはしない到達状況であったり、もちろん "精神力" の面では、かなりの "プレッシャー" が掛かっていたりで、まずはネガティブな予想が先行する。
が、じゃあ "気負い過ぎ" という轍に嵌まり込んで、大方の予想どおりに沈んでしまうのだろうか。ところが、これまでの土俵上での経緯を思い出してみると、どうしても浮かんでくるのが、破格の "勝負強さ" という特質なのである。
失礼ながら、 "気合と集中力" という点では、やはり "高見盛" の今ひとつ "セレモニー" 的なパフォーマンスとは異なるように見える。 高見盛" の場合には、もちろん自身に対して "気合" を入れているのではあろうが、七、八割が外(観客)へと漏れているかの印象を否定できない。
それに対する "朝青龍" が "気合" を入れる姿、幾分 "憎々しい" 姿からは、もっぱら入魂のパワーの歩留まりが高く、ほぼ九割方が "自身の体内" に打ち込まれている、そんな印象を受けるのである。
だから、そんな "気合と集中力" で破格の "勝負強さ" を発揮し続けてきた "朝青龍" だけに、意外と、"正念場" である今場所の初日に "初陣を飾る" ことになるのかもしれない、という予想も打ち消し難いわけなのだ。
いよいよ、今、その勝負の幕が切って落とされた。
やはり、回しを強く手で打つ "気合" の入れ方は、独特の激しさである。いつものこととは言え形相も阿修羅のごとくで、対する "稀勢の里" の方が、緊張気味の表情が隠せないようだ。
中盤、 "朝青龍" はやや危ない場面を見せた。が、まさに "入魂" 済みの身体に満身の力を漲らせて、巧みな挽回の体勢に持ち込み、そして突進して "稀勢の里" に土俵を割らせてしまった。最後は、のど輪の技を繰り出し、 "舞の海" の解説による "最後の一発は余計ですけどね" の憎々しさまで披露する始末だったのである。
こうした今日の一番は、決して全盛期の "朝青龍" の強さを見せ付けるものなんぞではなかったが、その分 "精神力" の面での秀逸さを改めて実証したような格好であった。
ただ、この調子が15日も続くはずだとは、よほどの "朝青龍" ファンでもない限りは信じ難いのかもしれないが......。
しかし、誰もが不安と苦悩に足を取られているこの時期、ここ一番という時には、こうやってしっかり "気合と集中力" によって "勝負強さ" を引き寄せるのだ、という見事な手本を見せてくれたような気がしたものであった...... (2009.01.11)
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