朝一番でやる仕事はというと、しばしば "新聞を読む" という応えが帰ってくるが、それは最も愚の骨頂ではないか、と。一日で最高にリフレッシュされ、脳活動も疲れがなくて高水準が期待できるそんな時間帯を、 "新聞を読む" というような凡庸な作業に当てていてはもったいない、というような主旨であったかと思う。
では何をすればいいのかということになるが、 "最も重要だと思われる作業" をこそ思い切って始めた方が良い、と。
最近は、その言い分に二つの点で納得し始めている。
ひとつは、気分が乗る乗らないにかかわらず、本命だと思われる作業から "いきなり着手" してしまった方が、一日を有効活用できそうだ、と思われるからだ。
朝一番という時間帯は、まだまだ頭脳活動が本調子ではないから徐々に立ち上げていくべきだ、という判断にも一理ありそうだとは思える。
しかし、脳というものは、やはり "疲れる" ものである。そして、年齢を加えてしまうと、どうもその度合いが深まるようだ。そして、その "疲れ" が現れやすいのは、 "集中力や根気" という面ではないかという気がしている。
しかも、今日のような "過剰ストレス" 時代にあっては、心や気分のありようが、脳活動の良し悪しに少なからず影響を及ぼすことにも注意を向けなければならない。
こう考えると、脳や心の "疲れ" 、それはまるで溜まった "水垢" のようなイメージであるが、そんなものがとりあえず睡眠によって "リセット" 、 "リフレッシュ" されたはずの朝一番の時間帯は言うまでもなく貴重なはずなのである。
ふたつ目に移るが、それを、 "新聞を読む" とか、ネットで新聞社サイトを一巡するといった作業に回すとは、やはりもったいないということになる。
いろいろと言い訳は成り立つ。一日の仕事を始める前に、社会環境や時代環境のリアルタイムな変化を掌握しておく必要があるとか何とか......。あるいは、そうすることが頭脳のウォームアップにもなるとか......。
しかし、そうしたリアルタイムの情報を仕入れなければならない立場の人もいるにはいるだろうが、それを真に受けてはいけない。土台、現在の新聞その他のマス・メディアが、仕事に直結するリアルタイムな情報を提供しているのかという大問題だってあろう。
むしろ、現在のマス・メディアが日毎提供し続けている情報やそのスタンスは、人々を無用に疲れさせるだけなのかもしれない。
世相自体が悪いから、それらを報じるマス・メディアには責任はないという屁理屈も成り立たないわけではないが、事実を事実だけで報じるのがマス・メディア(ジャーナリズム)ではないはずだ。人を頷かせるようなオピニオンを持って報じ、できれば受け手側に前向きな思考と勇気などを与えてこそ、ジャーナリズムだと言えるのではないか。
つまり、現在のマス・メディアは、それを世相の責任にしながら、絶望色に染まった社会的事実を排泄物のように吐き出しているだけなのかもしれない。だから、そんなものを、毎朝毎朝、貴重な時間帯である朝一番に、几帳面に受けとめていたのではろくなことにはならないのではなかろうか。
昨日であったか、中国の有識者たちが、現行の政府系のメディアを拒絶する声明を出したとかである。要は、あまりにも政府見解を押し付けるような性格だからだというものらしい。まあ、どの国の政府もやりそうなことであり、世論操作とマス・メディア(ジャーナリズム)の問題は焦眉の問題だと言える。
が、今日書いたことは、それ以前の事柄であり、個人生活における "脳の管理法" として、朝一番の貴重な時間帯をマス・メディアになんぞ汚され続けてはいけないということであった...... (2009.01.15)
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