少なくとも、景気状況については、現時点でも惨憺たる状態であるが、言ってみれば、 "今が最高!" なのであって今後はただひたすらに下降するものと思い描いていた方が妥当なのではないかと感じ取っている。
だから、現時点は酷い状況ではあっても、やがて来るかもしれない "大顛末" 状況に対する "モラトリアム" 的時間帯だというように思えるわけだ。
一昔前に "モラトリアム人間" というような流行語があったかと思う。
その意味するところは、<人間が成長して、なお社会的義務の遂行を猶予される期間。また、その猶予にとどまろうとする心理状態。エリクソンが提唱。>(広辞苑より)である。 "豊かな社会" だと見られていた時代には、環境側の "余裕" も手伝って、そんな空気も広がったのだろう。
もともと、 "モラトリアム" という言葉の原義は、これまた広辞苑によると、<債務者の破綻が経済界に大打撃を与えることが予想される場合、法令により一定期間、債務の履行を延期する措置。支払猶予。支払延期。>(同上)ということであり、この文脈での意味は皮肉にも現時点でぴったりするのかもしれない。
米国の、例の "ビッグ3" への公的資金援助などは、 " Too big to fail ! " (大き過ぎて、社会的悪影響が計り知れないために、潰せない!)だったそうで、その結果 "ビッグ3" は、危うく "モラトリアム" 措置に滑り込んだのだと言える。
諸環境が尋常ではない現状から、 "モラトリアム" という言葉が脳裏をよぎったのではあるが、よくよく考えてみると、生命を長らえている生物、そして人間という存在は、すべてがやがて確実に到来する "死" というエンディングに向かって "モラトリアム" 的時間を付与された、そんな存在なのだという思いもするのである。
ということで、どっちにしても "モラトリアム人間" であるわれわれは、 "今が最高!" というような逆説的な自覚を重々持つべきなのかもしれない...... (2009.01.16)
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