今日は、一日中、外は雨ということもあり、懸案中の技術的課題に掛かりっきりとなっていた。
外界の悪化経済の情報に振り回されていても、ただただ気分が滅入るだけで何のメリットもないであろう。身近な範囲でのやるべきことを、それこそ "粛々と" (この言葉は、しばしば政府自民党の閣僚たちが使うので感じはよくないが……)こなすということは、決して悪いことではないはずだ。
こうした "没頭する" スタンスで事に当たっていると、余計な感情をも封じることができて、頭脳活動を順調に推し進めることができるような気がする。そして、思考力、推理力も高揚し、きわめて効果的な頭脳の "試行錯誤" が可能となるようである。
考えてみると、こうした効果的な頭脳の "試行錯誤" こそが、まさにクリエイティブな仕事を手繰り寄せるはずなのであろう。言ってみれば、どれだけ密度の高い、多くの "試行錯誤" を繰り返すかが、クリエイティブな仕事の成就の基本的前提なのであろう。
ただ、そもそも仕事の現場、ビジネスの現場においては、 "試行錯誤" が人を育てることがわかってはいても、極力それを回避することが定石となってしまっている。
なおかつ、現時点のような "経済パニック状況" にあっては、 "試行錯誤" なぞという悠長なことが許されない、そんな空気が充満していそうである。現に、いわば "試行錯誤" の塊(かたまり)とも言えそうな "研究部門" がとことん予算を切り詰められたり、また "教育面" においては、"試行錯誤" 工数の極小化というような、ほとんどムリ難題としか言いようがない方針がまかり通ったりしているようである。
ムリからぬ状況ではあろうが、何事によらず、良い成果が生まれるためには、 "試行錯誤" の工数が "必要経費" なのだという当たり前の事情を忘れたくないものだ。
ただ、 "試行錯誤" の水準は問われていいかと思っている。 "試行錯誤" のアクションにも、極めて冗漫なものから、高い密度のものまでいろいろとあろうかと推測できる。
"試行錯誤" なんだから、やってみなきゃわかんないでしょ、といった文字通りの "試行錯誤" は卒業していて当然のはずである。
重要なことは、 "動機(疑問)" や "仮説" のありようではないかと思われる。これらがかなり "シャープ" である場合の "試行錯誤" は、意外と手堅い成果をもたらしてくれそうだ。
したがって、 "犬も歩けば棒に当たる" ということわざを漫然と受け容れるのではなく、先ずは "飢えた犬" や "考える犬" となることを目指す必要がありそうだ。
いずれにしても、それが "考える" ということであるに違いない、効果的な頭脳の "試行錯誤" こそが、今、最も不可欠なアクションなのかと思う…… (2009.01.30)
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