最近とくに思うのだが、自身の "精神衛生" をいかにうまく管理するかしないかは結構重要なことであるに違いない。
こんな異様な時代状況であるから、そうしたことに無関心でいると、おそらくは無数のストレスによって "精神" は、手がつけられない "ゴミ捨て場" のようなありさまとなるのではなかろうか。そして、ほぼ確実に想定されることは、そうなってゆくと "うつ病" その他の "精神" 面での病はもちろんのこと、いわゆる "心身症" などのような身体的側面の病にまで影響が広がりかねない。
現在進行中の "経済悪化" は、その固有の領域で猛威をふるっているだけではなく、さまざまな領域にいろいろな軋轢を発生させて、われわれをいろいろな角度から攻めまくっているかのようである。だから、 "同時多発" 的な原因群によって、被るストレスは半端なものではなくなっていそうだと思える。
とりあえず、現時点では "職" や "経営" などに絡む "経済的問題" に関心が集まっているが、その水面下では、上記のような "過剰ストレス" 状況が日に日に深刻化しているのではなかろうか。他人事ではなくそんなことを考える昨今だ。
ではどうしたらいいのか、である。
そんなに期待できるほどの "妙案" はなさそうだが、ひとつだけ注目したいことがある。それは、原因と思しき事柄を、独りで "溜め込む" ことや、曖昧な状態で "抱え込む" ことを極力避ける、ということかと思う。
人は、どんなに強いように見えても意外と "脆弱" な存在であるようだ。問題を独りで "溜め込む" 、曖昧な状態で "抱え込む" ことを継続していると、どんな者でも "精神" の "ゴミ捨て場" 化を誘ってしまうのではなかろうか。
しばしば言われてきたように、独りで "溜め込む" ことを避けるために、知人・友人に "愚痴" でも何でも "打ち明ける" ことが必須のようだ。何がどうなると期待をするのではなく、 "打ち明ける" こと=対象化・外部化することが大事なようである。 "瓢箪から駒" もあり得ると考えるべきなのだ。
また、問題を曖昧な状態で "抱え込む" ことは、ただただ "わけのわからない不安感" だけを野放しにしてしまうはずだ。だから、 "怖いもの見たさ" の姿勢ではないが、脳や心を煩わせている事を、せーのといった調子で紙なり何なりに "書き出し、吐き出し" て見つめ直すことが必要なようだ。
これも、それで即座にスマートな解決策がまとまるなんぞと考えないことだろう。そんなことは先ずあり得ない。ただ、 "書き出し、吐き出し" の作業が、意外と脳や心の鬱陶しさを改善してくれるはずである。
"過剰ストレス" 状況の渦中にある人は、こんなことを知ってもそう簡単には頷けないとは思うが、是非試してみてはどうかと思っている。問題の根源は、元来が外に開いているはずの、脳や心の働きが自身の狭い穴倉に閉じ込められてしまうことにありそうなのである…… (2009.01.31)
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