今日の休日は "疲労回復" にあてるつもりで過ごしてきた。
朝も、目覚まし時計をキャンセルにしておき、いつもより一時間ほど遅れて起きた。若い頃は放っておけばいくらでも眠っていられたものだが、どうもこの頃は程々のところで目が覚めてしまう。また、下手に惰眠をむさぼるとその日の夜が寝付かれなくなるのではないかといった警戒心も働いていそうである。
"疲労回復" といっても、ゴロゴロしていたのではかえって感が狂うといけないと思い、休日用に定めたウォーキングにも出かける。ただし、戻ってからはのんびりと入浴することにした。何やかやで久しく温泉に行こうとするような、そんな気分からも離れてしまったなぁ、なんぞと考えていた。そう思うそばから、いやいや、この寒空で野宿を余儀なくされている人たちもいるというのに、こうやって昼から入浴できることだけでもありがたく思うべきだと思い直す。
朝も、目覚まし時計をキャンセルにしておき、いつもより一時間ほど遅れて起きた。若い頃は放っておけばいくらでも眠っていられたものだが、どうもこの頃は程々のところで目が覚めてしまう。また、下手に惰眠をむさぼるとその日の夜が寝付かれなくなるのではないかといった警戒心も働いていそうである。
"疲労回復" といっても、ゴロゴロしていたのではかえって感が狂うといけないと思い、休日用に定めたウォーキングにも出かける。ただし、戻ってからはのんびりと入浴することにした。何やかやで久しく温泉に行こうとするような、そんな気分からも離れてしまったなぁ、なんぞと考えていた。そう思うそばから、いやいや、この寒空で野宿を余儀なくされている人たちもいるというのに、こうやって昼から入浴できることだけでもありがたく思うべきだと思い直す。
特に何をやるでもなくボーッとしていたためか、逆に身体の方もその気になってかドッと疲れが出てきた感じだ。むしろ、こうやって "疲労感" を覚える方が、それを押し殺してムリをするよりかはいいのかもしれない、と思ったりした。
だがこうやって、いざ日誌を書こうとすると、その意欲まで引っ込んでしまったのには困った。それであれこれと思いを巡らすのだが、そうすると、時代環境が撒き散らすゴミのような事柄ばかりが思い浮かんでくる。
しかし、いや、こんな思考の文脈に足を取られると、せっかくの "疲労回復" という今日の "スローガン" が台無しになりかねない、と用心する。今日は、のんびりとした気分を "寝床" にまで持ち込み、そのままのんびりした睡眠に入らなければいけない! と......。
何だか、自身の "身を気遣う" ことに手を焼いているようで嫌な気がしないでもないが、これが "セルフコントロール" というものだと言い聞かせる。
そんなことで、今日は完全な "タテマエ" 日誌でお茶を濁すことにした...... (2009.02.11)
だがこうやって、いざ日誌を書こうとすると、その意欲まで引っ込んでしまったのには困った。それであれこれと思いを巡らすのだが、そうすると、時代環境が撒き散らすゴミのような事柄ばかりが思い浮かんでくる。
しかし、いや、こんな思考の文脈に足を取られると、せっかくの "疲労回復" という今日の "スローガン" が台無しになりかねない、と用心する。今日は、のんびりとした気分を "寝床" にまで持ち込み、そのままのんびりした睡眠に入らなければいけない! と......。
何だか、自身の "身を気遣う" ことに手を焼いているようで嫌な気がしないでもないが、これが "セルフコントロール" というものだと言い聞かせる。
そんなことで、今日は完全な "タテマエ" 日誌でお茶を濁すことにした...... (2009.02.11)
コメントする