大したことでもないのだが、この間、懸案となっていた作業中の "不具合" がやっと解消できた。嬉しくないわけはない。ホッとした気分である。
かなり紆余曲折があり、重箱の隅を突付くようなチェックも行った。こんなことにかかずらっていていいものかという "常識的な心境" にもなったりした。
確かに、その "不具合" が何か決定的な事柄に発展するものでもなかったし、また、それが解消できたからといって、幸運な出来事が誘い込まれるわけでもなかった。
言ってみれば、 "こだわり" のひとつほどの意味しかない。だが、どういうものか無性に解決してみたいと思い続けてきたのである。
かなり紆余曲折があり、重箱の隅を突付くようなチェックも行った。こんなことにかかずらっていていいものかという "常識的な心境" にもなったりした。
確かに、その "不具合" が何か決定的な事柄に発展するものでもなかったし、また、それが解消できたからといって、幸運な出来事が誘い込まれるわけでもなかった。
言ってみれば、 "こだわり" のひとつほどの意味しかない。だが、どういうものか無性に解決してみたいと思い続けてきたのである。
人は時として、ちょっとした自信というか、手応えのようなものを切望する時がありそうな気がする。考えてみれば、現在のような時代環境にあっては、少なからぬ人たちが、こんな心境にあるのではないかとも想像する。
何にせよ "首尾よく行く" というようなことがめっきり少なくなってしまい、あれもダメこれもダメ、おまけにそれもダメというような、 "ダメダメ環境" に包囲されてしまったような気配が濃厚だからだ。
いや、愚痴を書こうとしているわけではなく、そんな環境であるからこそ、 "内側" が "メルトダウン" してしまわないようでありたいと願うわけだ。
ことによれば、そんな "内側" の "危機" を感じ取る者がややもして錯乱状態で選びがちなことは、八つ当たりやら、そして "いじめ" のようなアクションであるのかもしれない。
つまり、他者を低めたり、卑しめたりするその反動でかろうじて自身の存在感を得ようとするさもしい心理のことである。だが、手っ取り早いという点から往々にして選ばれがちな現象なのであろう。そんなことで被害を被る弱者たちが少なくないはずであろうし、現在のように、生活環境が悪化すれば減るどころか蔓延するようにも推測される。
こうした時代環境にあって人が自身の "内側" をコントロールする際に欠かせないことは、 "溶けて流れ出す" 自信のようなものをどう引き止めるのか、あるいは、再構築するのかという課題以外ではないと思える。
どんなに小さなことであっても、 "やればできる" というような自己確認を重ねて行くことが決定的に重要だと思えてならない。そんな個々人の自信回復過程からでしか、混迷し切った時代の克服ルートは見えてこないような気がしている...... (2009.02.13)
何にせよ "首尾よく行く" というようなことがめっきり少なくなってしまい、あれもダメこれもダメ、おまけにそれもダメというような、 "ダメダメ環境" に包囲されてしまったような気配が濃厚だからだ。
いや、愚痴を書こうとしているわけではなく、そんな環境であるからこそ、 "内側" が "メルトダウン" してしまわないようでありたいと願うわけだ。
ことによれば、そんな "内側" の "危機" を感じ取る者がややもして錯乱状態で選びがちなことは、八つ当たりやら、そして "いじめ" のようなアクションであるのかもしれない。
つまり、他者を低めたり、卑しめたりするその反動でかろうじて自身の存在感を得ようとするさもしい心理のことである。だが、手っ取り早いという点から往々にして選ばれがちな現象なのであろう。そんなことで被害を被る弱者たちが少なくないはずであろうし、現在のように、生活環境が悪化すれば減るどころか蔓延するようにも推測される。
こうした時代環境にあって人が自身の "内側" をコントロールする際に欠かせないことは、 "溶けて流れ出す" 自信のようなものをどう引き止めるのか、あるいは、再構築するのかという課題以外ではないと思える。
どんなに小さなことであっても、 "やればできる" というような自己確認を重ねて行くことが決定的に重要だと思えてならない。そんな個々人の自信回復過程からでしか、混迷し切った時代の克服ルートは見えてこないような気がしている...... (2009.02.13)
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