昨晩、<ETV特集「作家・辺見庸 しのびよる破局のなかで」>(NHK教育 2009.02.01 なお、再放送が2009.03.01 に予定されているとか)の録画コンテンツを観た。一々、深く共感することになった。こんなにも、自身が言葉にし切れずに悶々として抱えている問題意識を、手堅く自分のものとしていた作家のいたことに "狂喜せんばかり" の感動を覚えた。
多分、辺見氏のような問題意識を、問題意識とは言わずとも問題 "感" とでもいうべきかたちで抱え続けている人は少なくないのではないかと思う。
だが、自身の思考空間の中にきちっと取り込むということが中々できないのが凡人の切ないところなのであろう。言葉という "道具" を磨き上げ、鍛え上げていなければできようはずがない。
そこは、辺見氏は "芥川賞受賞作家" であり、感性と言葉とに命がけの努力をしてこられた方ならではのシャープさだとつくづく感服させられた。
多分、辺見氏のような問題意識を、問題意識とは言わずとも問題 "感" とでもいうべきかたちで抱え続けている人は少なくないのではないかと思う。
だが、自身の思考空間の中にきちっと取り込むということが中々できないのが凡人の切ないところなのであろう。言葉という "道具" を磨き上げ、鍛え上げていなければできようはずがない。
そこは、辺見氏は "芥川賞受賞作家" であり、感性と言葉とに命がけの努力をしてこられた方ならではのシャープさだとつくづく感服させられた。
多くのことを的確に語っていた辺見氏であるが、思うに、辺見氏自身が視線を外すことなく凝視されていたこと、それが、まさにこの、捉えどころないかたちで同時代人たちを苦悩に追い込んでいる時代が抱えた問題構造を、どう知的な営為が問題意識として "凍結" し得るのか、ということではなかったかと受け止めた。
現時点における問題現象は、同時多発している。この "金融・経済危機" をはじめとして、 "派遣切り" に象徴される猛烈な格差・弱肉強食社会、 "地球温暖化" 問題に、感染爆発(パンデミック・フルー)が懸念される悪性インフルエンザ、そして "秋葉原の通り魔事件" にうかがえる無差別殺人が横行する歪んだ社会......。
辺見氏は、これらはそれぞれが "単層" レベルで発生しているのではなく、深い次元で相互に脈絡を持つ、まさに "パンデミック(感染爆発)" として生じているのではないかと予感する。そして、その深い次元では、人々の従来からの "価値観" がメルトダウンしてしまっているに違いない、と。それが最大の問題なのかも知れず、それはこれまでに類を見ない、現代人における "荒み" と呼ぶべきものであろう、と......。
この辺の洞察については、一般的な倫理的視点に依拠するのではなく、経済形態としての資本主義の現状や、また情報化時代を先導しているメディア環境の現実などを踏まえて考察を進めているところに説得性があった。
いろいろと脳裏に突き刺さる指摘が多かったのだが、極めて印象深く記憶に残ったのは次の点であった。つまり、現代という時代は、決して問題構造や根源 "悪" を露呈させることなく、したたかに "コーティング" され切って、事の真相が隠され続けている、という指摘なのである。
その辺の事情を示唆するために、フランスの作家 "カミュ" の "ペスト" を例示していたのも興味深かった。が、もっと説得性があったのは、われわれの日常の茶の間のTV番組のありようについての指摘である。
現実の世界の真相の一端であるホームレスなどが "飢餓状態" となっていることを報じるTV番組のもう片方では、 "大食い競争" でバカ騒ぎする番組などが、しっかりと厳しい現実を差し障りないような空気へと向けて "コーティング" している、というのである。そして、その厚化粧のような "コーティング" によって人々は、必要であるはずのわずかな警戒心さえをもかなぐり捨ててしまい丸腰生活を続ける......。
確かに、現状の "コーティング" された時代環境は、マス・メディアを繰り出しながら、どこまでも環境の実態や真相を覆い隠して、 "ご心配にはおよびません" 的な仮想現実を言い張っていそうである。
辺見氏は、心ある多くの人々と共有するであろう "苛立ち" もあってか、現時点の "パンデミック" のような "危機状況" は、人間が覚醒できるとっておきの、そして最後の機会ではないか、と語っていた...... (2009.02.24)
現時点における問題現象は、同時多発している。この "金融・経済危機" をはじめとして、 "派遣切り" に象徴される猛烈な格差・弱肉強食社会、 "地球温暖化" 問題に、感染爆発(パンデミック・フルー)が懸念される悪性インフルエンザ、そして "秋葉原の通り魔事件" にうかがえる無差別殺人が横行する歪んだ社会......。
辺見氏は、これらはそれぞれが "単層" レベルで発生しているのではなく、深い次元で相互に脈絡を持つ、まさに "パンデミック(感染爆発)" として生じているのではないかと予感する。そして、その深い次元では、人々の従来からの "価値観" がメルトダウンしてしまっているに違いない、と。それが最大の問題なのかも知れず、それはこれまでに類を見ない、現代人における "荒み" と呼ぶべきものであろう、と......。
この辺の洞察については、一般的な倫理的視点に依拠するのではなく、経済形態としての資本主義の現状や、また情報化時代を先導しているメディア環境の現実などを踏まえて考察を進めているところに説得性があった。
いろいろと脳裏に突き刺さる指摘が多かったのだが、極めて印象深く記憶に残ったのは次の点であった。つまり、現代という時代は、決して問題構造や根源 "悪" を露呈させることなく、したたかに "コーティング" され切って、事の真相が隠され続けている、という指摘なのである。
その辺の事情を示唆するために、フランスの作家 "カミュ" の "ペスト" を例示していたのも興味深かった。が、もっと説得性があったのは、われわれの日常の茶の間のTV番組のありようについての指摘である。
現実の世界の真相の一端であるホームレスなどが "飢餓状態" となっていることを報じるTV番組のもう片方では、 "大食い競争" でバカ騒ぎする番組などが、しっかりと厳しい現実を差し障りないような空気へと向けて "コーティング" している、というのである。そして、その厚化粧のような "コーティング" によって人々は、必要であるはずのわずかな警戒心さえをもかなぐり捨ててしまい丸腰生活を続ける......。
確かに、現状の "コーティング" された時代環境は、マス・メディアを繰り出しながら、どこまでも環境の実態や真相を覆い隠して、 "ご心配にはおよびません" 的な仮想現実を言い張っていそうである。
辺見氏は、心ある多くの人々と共有するであろう "苛立ち" もあってか、現時点の "パンデミック" のような "危機状況" は、人間が覚醒できるとっておきの、そして最後の機会ではないか、と語っていた...... (2009.02.24)
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