今、時代環境に沿うかのように "節約(Saving)" に関心が集まっている。地球の資源枯渇問題や浪費で加速する温暖化現象のことを考えれば、健全な発想だと思う。
貧窮という、 "節約" せざるを得ない差し迫った事情も当然あるだろうが、このこと自体に合理性が含まれているとも考えたい。
一昔前の、荒っぽい経済成長期には、経済成長の視点から、 "浪費" こそが美徳だとされ、 "節約" は時代遅れだと見なされ、非難されることさえあった。
しかし、客観的情勢を見ても、また人間側の主体的状況を考えても、 "節約" の姿勢という課題を今こそじっくりと吟味してみる必要がありそうだ。
貧窮という、 "節約" せざるを得ない差し迫った事情も当然あるだろうが、このこと自体に合理性が含まれているとも考えたい。
一昔前の、荒っぽい経済成長期には、経済成長の視点から、 "浪費" こそが美徳だとされ、 "節約" は時代遅れだと見なされ、非難されることさえあった。
しかし、客観的情勢を見ても、また人間側の主体的状況を考えても、 "節約" の姿勢という課題を今こそじっくりと吟味してみる必要がありそうだ。
"節約" という事柄を考える時、さまざまな局面が思い浮かぶわけだが、どういうものか、自分は "リサイクル" という方策に関心を持つ。
つまり、 "不要なモノ" というのは、きわめて主観的な捌かれ方によって生じているのであって、モノ自体の有用性が消滅したわけではないはずである。その証拠に、使い手が代わるというかたちでの "中古品" が大活躍しているのが昨今の現状だ。
この点を踏まえると、 "節約" という概念も、単にモノを大事に、という視点からだけでなく、 "再利用=リサイクル" という大きな観点で把握されていいものだと思えてくる。
そして、この "再利用=リサイクル" という視点に関心が及ぶならば、にわかに、 "ゴミ収集" における "分別" という賢い対処法に注目したくなる。
複雑に加工されてしまった商品や製品は、そのまま使い古され、ゴミとして放出されると、確かにゴミと成り果ててしまいそうだ。それらから、有用な "再利用=リサイクル" 資源を取り出すことに手間が掛かり過ぎてしまうからだ。
その点、現在のように末端で "分別" されて収集されると、まさに有用資源の "回収" ということになるわけだ。こうして、有用な資源を "循環" させて活用することこそ、 "節約" という概念の中心にあるものではないかと考えるのである。
自然の営為というものは、まさにこの "循環" 過程に長い時間を費やしていると言えそうである。
ところで、このような言い尽くされた事実に目を向けた時、モノの "節約" と同時に、 "情報の節約" という視点に対してももっと関心を抱いてよさそうだと思うのである。
結論から言えば、 "情報(データ)の再活用" ということになる。
この問題を包括的に考察しようとすれば膨大な作業となりそうだが、ここでは、前述の "ゴミの分別" ということになぞらえて、考察範囲を小さく限定してみる。
コンピュータの発展史においても、蓄積し累積するデータをどう効率的に再活用するのかという課題が付きまとっていたはずである。こうした問題なのである。
この問題においても、ゴミ問題と同様に、あらゆる要素が複雑に絡み合ったデータというものは、扱い勝手が悪く、ややもすれば "ゴミ" と化すようである。
"効率的に再活用" されるためには、かなり小さなブロックに分別されていて、データベース処理を経て、それらが瞬時に検索され得ることが必須のようである。まさに、 "Google" などは、このことをインターネットを駆使してグローバルに展開しているのだと言える。
さて、話は迂遠となってしまったが、今自分がそこそこに関心を寄せていることというのは、こうしたことが前提となっている。
常々感じ続けてきたのであるが、 "サイト情報" というものは、もっと活用されていいと思われるが、必ずしもそうなっていない。一言で言えば、膨大な情報がサイトそれ自体とともに "埋没" し、静かに "ゴミ" となりつつある、ということだ。この点は、自身のこのサイトやここでの情報もまったく同じことである。
なぜそうなっているのか? 当然いろいろな原因が潜伏していよう。
その中の一つの、決して小さくない問題が、 "情報の分別" ではないかと考えている。 ちょいと、長くなり過ぎてしまったので、この続きは後日に回したい...... (2009.02.26)
つまり、 "不要なモノ" というのは、きわめて主観的な捌かれ方によって生じているのであって、モノ自体の有用性が消滅したわけではないはずである。その証拠に、使い手が代わるというかたちでの "中古品" が大活躍しているのが昨今の現状だ。
この点を踏まえると、 "節約" という概念も、単にモノを大事に、という視点からだけでなく、 "再利用=リサイクル" という大きな観点で把握されていいものだと思えてくる。
そして、この "再利用=リサイクル" という視点に関心が及ぶならば、にわかに、 "ゴミ収集" における "分別" という賢い対処法に注目したくなる。
複雑に加工されてしまった商品や製品は、そのまま使い古され、ゴミとして放出されると、確かにゴミと成り果ててしまいそうだ。それらから、有用な "再利用=リサイクル" 資源を取り出すことに手間が掛かり過ぎてしまうからだ。
その点、現在のように末端で "分別" されて収集されると、まさに有用資源の "回収" ということになるわけだ。こうして、有用な資源を "循環" させて活用することこそ、 "節約" という概念の中心にあるものではないかと考えるのである。
自然の営為というものは、まさにこの "循環" 過程に長い時間を費やしていると言えそうである。
ところで、このような言い尽くされた事実に目を向けた時、モノの "節約" と同時に、 "情報の節約" という視点に対してももっと関心を抱いてよさそうだと思うのである。
結論から言えば、 "情報(データ)の再活用" ということになる。
この問題を包括的に考察しようとすれば膨大な作業となりそうだが、ここでは、前述の "ゴミの分別" ということになぞらえて、考察範囲を小さく限定してみる。
コンピュータの発展史においても、蓄積し累積するデータをどう効率的に再活用するのかという課題が付きまとっていたはずである。こうした問題なのである。
この問題においても、ゴミ問題と同様に、あらゆる要素が複雑に絡み合ったデータというものは、扱い勝手が悪く、ややもすれば "ゴミ" と化すようである。
"効率的に再活用" されるためには、かなり小さなブロックに分別されていて、データベース処理を経て、それらが瞬時に検索され得ることが必須のようである。まさに、 "Google" などは、このことをインターネットを駆使してグローバルに展開しているのだと言える。
さて、話は迂遠となってしまったが、今自分がそこそこに関心を寄せていることというのは、こうしたことが前提となっている。
常々感じ続けてきたのであるが、 "サイト情報" というものは、もっと活用されていいと思われるが、必ずしもそうなっていない。一言で言えば、膨大な情報がサイトそれ自体とともに "埋没" し、静かに "ゴミ" となりつつある、ということだ。この点は、自身のこのサイトやここでの情報もまったく同じことである。
なぜそうなっているのか? 当然いろいろな原因が潜伏していよう。
その中の一つの、決して小さくない問題が、 "情報の分別" ではないかと考えている。 ちょいと、長くなり過ぎてしまったので、この続きは後日に回したい...... (2009.02.26)
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