「私は嘘しか言いません」というフレーズをとあるサイトで見た。
ちなみに、『雑誌の新聞』という、雑誌記事見出し情報のサイトであり、<AERA [3月16日号] >の<養老孟司の大脳博物館>と題するコラムらしい。
別に、このフレーズに関する養老孟司氏の意図するところを厳密に吟味するつもりではない。ここでは、養老孟司氏の諧謔性に富んだ視点だけに注目できればそれでいい。
記事の関係事項として、<麻生太郎首相、定額給付金、河合隼雄>などが挙げられているので、その発言が "ブレる" ことで今や定評のある<麻生首相>を揶揄っているのだろうことは推測可能だ。<河合隼雄>の名が挙がっているのは、ことによったら臨床心理学の観点から "嘘" というものについてアプローチしているのかもしれない。
ちなみに、『雑誌の新聞』という、雑誌記事見出し情報のサイトであり、<AERA [3月16日号] >の<養老孟司の大脳博物館>と題するコラムらしい。
別に、このフレーズに関する養老孟司氏の意図するところを厳密に吟味するつもりではない。ここでは、養老孟司氏の諧謔性に富んだ視点だけに注目できればそれでいい。
記事の関係事項として、<麻生太郎首相、定額給付金、河合隼雄>などが挙げられているので、その発言が "ブレる" ことで今や定評のある<麻生首相>を揶揄っているのだろうことは推測可能だ。<河合隼雄>の名が挙がっているのは、ことによったら臨床心理学の観点から "嘘" というものについてアプローチしているのかもしれない。
はじめに断わっておくと、このサイトを "お気に入り" に入れて時々見ているのは、<週刊東洋経済、日経ビジネス、週刊エコノミスト>などの<経済誌>を多少注目しているからなのである。<一般週刊誌>の方はついでに目を通すくらいだ。
というのも、やはり<一般週刊誌>ネタというのは、そうしたネタを作り上げる記者や編集者の "特殊な視点" が気に障り(不快感を伴う)気分さえ悪くなるので目にしたくないわけだ。そんなことどうだっていいじゃないか、とか、そこまでこだわるのならば自身の立場を定めてモノを言うスタイルを採ったらどう、とかを言いたくなってしまうのだ。
さて、「私は嘘しか言いません」というフレーズに戻るが、自分が目を止めたのはこの言葉にかんする "修辞" や "ロジック" のあや問題なぞではない。ちなみに、このフレーズでネット検索をかけてみると、50万件を超える検索結果があったが、そうした愚にもつかないことに関心を向ける人が多いのかと思うと......。
自分がこのフレーズに目を向けたのは、ますます世の中は "嘘しか言えない" 環境になっているという点をもっとリアルに確認すべきだ、と思ったからなのである。
逆説的に言えば、 "嘘をついている人" に向かって、「あなたねぇ、そんな嘘をついちゃいけませんよ。嘘なんでしょ」なんていう言い方をしたって無意味だということなのである。
まして、政治家(政治屋)や官僚(役人)に向かってそんな "ぬるい" 表現をしたところでほとんど "蛙の面に小便" 以外ではなかろう。だって彼らは、 "嘘の厚化粧" で人生の大半を塗り固めてきたからこそ現在に至っているはずなのだからである。
こうした "末世(まっせ)" にあっては、政治家はよく言い "まっせ" 、とばかりに彼らをこき下ろし、こう言うべきなのだと確信する。「私は」の部分をしっかりと「彼らは」に置き換えて、「彼らは嘘しかいいません」と。そうした毅然とした突き放しができない国民こそが存在感がないと言えないであろうか。
「ところがですねぇ、それができるのはあなたしかいないんです。あなたが何をどう言おうと、あなたが犯人だということは事実なんです!」
とは、 "刑事コロンボ" の決めゼリフ(ちょっと違うかもしれないけど)。決して容疑者を "ぬるい" 表現で嘘つき呼ばわりなんぞせずに、確信に近い疑惑を胸に固めつつ、確実な "物証" だけで追い詰めて行く。
"嘘の厚化粧" がまかり通る "末世(まっせ)" にあっては、一億総国民がこぞって "刑事コロンボ" にならなくては......。そんなに多くのヨレヨレのレインコートを調達するのは大変だろうけど...... (2009.03.15)
というのも、やはり<一般週刊誌>ネタというのは、そうしたネタを作り上げる記者や編集者の "特殊な視点" が気に障り(不快感を伴う)気分さえ悪くなるので目にしたくないわけだ。そんなことどうだっていいじゃないか、とか、そこまでこだわるのならば自身の立場を定めてモノを言うスタイルを採ったらどう、とかを言いたくなってしまうのだ。
さて、「私は嘘しか言いません」というフレーズに戻るが、自分が目を止めたのはこの言葉にかんする "修辞" や "ロジック" のあや問題なぞではない。ちなみに、このフレーズでネット検索をかけてみると、50万件を超える検索結果があったが、そうした愚にもつかないことに関心を向ける人が多いのかと思うと......。
自分がこのフレーズに目を向けたのは、ますます世の中は "嘘しか言えない" 環境になっているという点をもっとリアルに確認すべきだ、と思ったからなのである。
逆説的に言えば、 "嘘をついている人" に向かって、「あなたねぇ、そんな嘘をついちゃいけませんよ。嘘なんでしょ」なんていう言い方をしたって無意味だということなのである。
まして、政治家(政治屋)や官僚(役人)に向かってそんな "ぬるい" 表現をしたところでほとんど "蛙の面に小便" 以外ではなかろう。だって彼らは、 "嘘の厚化粧" で人生の大半を塗り固めてきたからこそ現在に至っているはずなのだからである。
こうした "末世(まっせ)" にあっては、政治家はよく言い "まっせ" 、とばかりに彼らをこき下ろし、こう言うべきなのだと確信する。「私は」の部分をしっかりと「彼らは」に置き換えて、「彼らは嘘しかいいません」と。そうした毅然とした突き放しができない国民こそが存在感がないと言えないであろうか。
「ところがですねぇ、それができるのはあなたしかいないんです。あなたが何をどう言おうと、あなたが犯人だということは事実なんです!」
とは、 "刑事コロンボ" の決めゼリフ(ちょっと違うかもしれないけど)。決して容疑者を "ぬるい" 表現で嘘つき呼ばわりなんぞせずに、確信に近い疑惑を胸に固めつつ、確実な "物証" だけで追い詰めて行く。
"嘘の厚化粧" がまかり通る "末世(まっせ)" にあっては、一億総国民がこぞって "刑事コロンボ" にならなくては......。そんなに多くのヨレヨレのレインコートを調達するのは大変だろうけど...... (2009.03.15)
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