技術的な "ちょっとしたこと" に拘ったために、今日は一日の大半を費やしてしまった。結局、未だに解明できず徒労感に襲われている。
いつものように "ネット検索" のお世話にもなったのだが、これはというヒントも得られず、むしろ、自分の疑問点の方が "ユニーク" or "難易度が高い" or "馬鹿げている" かのどれかなのかと思い知らされることになった。
ただでさえ何かと気分が急かされているこんな時に、まるで "道楽者のもの調べ" のような按配となってしまったことに我ながら嫌悪感さえ感じている。
もっと時間を上手く、スマートに使って行かないと、100年生きても間に合わないのではないかと......。
いつものように "ネット検索" のお世話にもなったのだが、これはというヒントも得られず、むしろ、自分の疑問点の方が "ユニーク" or "難易度が高い" or "馬鹿げている" かのどれかなのかと思い知らされることになった。
ただでさえ何かと気分が急かされているこんな時に、まるで "道楽者のもの調べ" のような按配となってしまったことに我ながら嫌悪感さえ感じている。
もっと時間を上手く、スマートに使って行かないと、100年生きても間に合わないのではないかと......。
しかし、気分よく仕事をこなそうなぞということは贅沢なことなのかもしれないと思い至る。どんなにベテランであろうが、その時点その時点で人には言えない苦労をしていそうである。
何の苦労もなく自分の抱えた課題なり、仕事なりをこなしたいというのは、願望は願望としても、まさに "100年早い" (いやに100年に拘るようだ)と言うべきなのだろう。というよりも、何の苦労もないようなことを仕事にしようという発想が間違っていると言うべきか。
つまり、 "課題設定" や "目標設定" というものは、 "現状プラス苦労" という水準に置かなければ、主観的にも客観的にも意味のないことになりそうだ。
今、こんな経済危機の状況ということもあり、多くの人が "稼ぎ口" ( "儲け口" ではない)に血眼となっている。わかり過ぎるほどによくわかる。
ただ、 "稼ぎ口" 探しには回答はなさそうだ。というのも、物事の半分のサイドにしか視野に入れていなければ、物事が上手く行くはずはないからだ。つまり、 "稼ぐ" という事柄は、 "自分側寄りの半分" の事柄であり、 "向こう側半分" 、つまり "稼がせてくれる" 相手、雇われ人ならば雇い側の会社、経営者ならば取引先企業や市場の顧客などの姿、そんなものの姿がくっきりと見えていなければ話にならないはずだろう。
むしろ、そちらの状況に照準を合わせて、それに見合う自分側の水準アップに鎬を削ってこそ成るものが成る、と言えそうだ。当然そこには、自分側に "現状プラス苦労" という見定めが必要となってくるはずだ。
こんな大不況の環境では、とかく愚痴りたくもなるものだ。しかし、愚痴ったところで何も始まらないのはわかっているし、むしろ愚痴る気分の足元で、自身の根性の根腐れを許したのでは取り返しがつかなくなる恐れもある。
ここは、たとえこれまでにない "辛さ" ではあっても、 "環境に拮抗する自分" を育て上げていくしかないのだろう。 "現状プラス苦労" なぞは当たり前のことと引き受けるしかなさそうである。
こうしたまさに "ダサイ" ことをあえて書き出すのも、こうした状況認識を、いつまでも甘い自分に徹底させたいがためである...... (2009.03.16)
何の苦労もなく自分の抱えた課題なり、仕事なりをこなしたいというのは、願望は願望としても、まさに "100年早い" (いやに100年に拘るようだ)と言うべきなのだろう。というよりも、何の苦労もないようなことを仕事にしようという発想が間違っていると言うべきか。
つまり、 "課題設定" や "目標設定" というものは、 "現状プラス苦労" という水準に置かなければ、主観的にも客観的にも意味のないことになりそうだ。
今、こんな経済危機の状況ということもあり、多くの人が "稼ぎ口" ( "儲け口" ではない)に血眼となっている。わかり過ぎるほどによくわかる。
ただ、 "稼ぎ口" 探しには回答はなさそうだ。というのも、物事の半分のサイドにしか視野に入れていなければ、物事が上手く行くはずはないからだ。つまり、 "稼ぐ" という事柄は、 "自分側寄りの半分" の事柄であり、 "向こう側半分" 、つまり "稼がせてくれる" 相手、雇われ人ならば雇い側の会社、経営者ならば取引先企業や市場の顧客などの姿、そんなものの姿がくっきりと見えていなければ話にならないはずだろう。
むしろ、そちらの状況に照準を合わせて、それに見合う自分側の水準アップに鎬を削ってこそ成るものが成る、と言えそうだ。当然そこには、自分側に "現状プラス苦労" という見定めが必要となってくるはずだ。
こんな大不況の環境では、とかく愚痴りたくもなるものだ。しかし、愚痴ったところで何も始まらないのはわかっているし、むしろ愚痴る気分の足元で、自身の根性の根腐れを許したのでは取り返しがつかなくなる恐れもある。
ここは、たとえこれまでにない "辛さ" ではあっても、 "環境に拮抗する自分" を育て上げていくしかないのだろう。 "現状プラス苦労" なぞは当たり前のことと引き受けるしかなさそうである。
こうしたまさに "ダサイ" ことをあえて書き出すのも、こうした状況認識を、いつまでも甘い自分に徹底させたいがためである...... (2009.03.16)
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