やはり季節は春になったのだと再認識する。日の出時刻も既に6時台を割り込み、5時40分(東京)頃となっている。昨晩、就寝前にラジオで確認できた。朝方に目覚めた時、6時前なのに外が明るくなり始めているのには気づいたが、もう5時台の半ばに近づいていたわけだ。
もう一つ、春の季節を感じさせたのは、ウォーキング時の出来事であった。
このところ土日も出勤を続けているため、境川・遊歩道でのウォーキングを休んだりもしていた。今朝は、川の鯉たちの様子にも心が向いていたので、出かけてみた。
出掛けから小雨混じりであまり天気が良くなかったが、鯉たちへの餌(食パンの耳のサイコロ切り)を小袋に入れて、 "花咲か爺さん" よろしく出向いた。
そこで気づいたのであるが、川の鯉たちの食欲がにわかに旺盛となっていたのだ。ちょっと以前には、動きが鈍く、撒いた餌を川の流れで流されるままにしていた時期もあった。また、それらの流れる餌を追うというふうでもなかったから、俊敏なカルガモが遠くからそれに気づき、たちどころに横取りされたりもしていた。
もう一つ、春の季節を感じさせたのは、ウォーキング時の出来事であった。
このところ土日も出勤を続けているため、境川・遊歩道でのウォーキングを休んだりもしていた。今朝は、川の鯉たちの様子にも心が向いていたので、出かけてみた。
出掛けから小雨混じりであまり天気が良くなかったが、鯉たちへの餌(食パンの耳のサイコロ切り)を小袋に入れて、 "花咲か爺さん" よろしく出向いた。
そこで気づいたのであるが、川の鯉たちの食欲がにわかに旺盛となっていたのだ。ちょっと以前には、動きが鈍く、撒いた餌を川の流れで流されるままにしていた時期もあった。また、それらの流れる餌を追うというふうでもなかったから、俊敏なカルガモが遠くからそれに気づき、たちどころに横取りされたりもしていた。
ところが、今朝あたりは、いつもたむろしている鯉たちはまるで別人、いや別魚のごとく、バチャバチャとはしゃぎ回って餌を追いかけていた。その騒ぎがまた、しばらく離れたところで回遊していた鯉たちをも刺激する。オイオイ、オレたちを除者にしてもらっちゃ困るよ、と言わんばかりに猛烈な泳ぎ振りで集まって来たりもした。
持って行った小袋の餌は見る見るうちに捌けてしまうありさまであった。
やはり、季節がこうして春めいてくると、自然の生きものたちも食欲は出るし、動きも活発になるし、こんなにも変わるものなのかと驚かされるばかりであった。
若干の手間を掛けて餌をやる身になると、そんなふうに、見境なく騒いでくれる方が遣り甲斐があるというものである。そんな騒ぎを見せつけられると、ヨシヨシ、今度来る時には多目に持って来てやるからな、という気分にもさせられる。
こうして、餌をやる鯉たちに "励まされる" ようなかたちで、今日もまた休日出勤をしている。できれば、この季節にふさわしく気分も "春先モード" に衣替えしたい気もしないではない。しかし、仕事で病む気持ちは、仕事で正面突破して行くしかなかろうと見据えている...... (2009.03.22)
持って行った小袋の餌は見る見るうちに捌けてしまうありさまであった。
やはり、季節がこうして春めいてくると、自然の生きものたちも食欲は出るし、動きも活発になるし、こんなにも変わるものなのかと驚かされるばかりであった。
若干の手間を掛けて餌をやる身になると、そんなふうに、見境なく騒いでくれる方が遣り甲斐があるというものである。そんな騒ぎを見せつけられると、ヨシヨシ、今度来る時には多目に持って来てやるからな、という気分にもさせられる。
こうして、餌をやる鯉たちに "励まされる" ようなかたちで、今日もまた休日出勤をしている。できれば、この季節にふさわしく気分も "春先モード" に衣替えしたい気もしないではない。しかし、仕事で病む気持ちは、仕事で正面突破して行くしかなかろうと見据えている...... (2009.03.22)
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