昨今、やたらと "お一人様" という言葉を耳にする。
この言葉を意識するようになったのは、確か去年の夏であったと思うが、NHKの番組で<永井荷風 「お一人さま」の天才>という番組に接したことがきっかけになっているのかもしれない。
わずらわしい人付き合いを好まなかった荷風が一人暮らしを通し、孤独な人生を優雅さと独立心で邁進したとのことなのであった。そのイメージによるものか、 "一人暮らし" というどちらかと言えば暗いトーンの言葉が、 "お一人様" ライフという軽妙な言葉に置き換えられたかのような感触を抱いた。
もちろん、 "お一人様" ライフとは言ってみても、荷風自身もそうであったことが否定できないと思われるが、 "一人暮らし" が秘めた底なしの孤独感と寂寥感は、そんなに容易く受け容れられるものではなかろう。
この言葉を意識するようになったのは、確か去年の夏であったと思うが、NHKの番組で<永井荷風 「お一人さま」の天才>という番組に接したことがきっかけになっているのかもしれない。
わずらわしい人付き合いを好まなかった荷風が一人暮らしを通し、孤独な人生を優雅さと独立心で邁進したとのことなのであった。そのイメージによるものか、 "一人暮らし" というどちらかと言えば暗いトーンの言葉が、 "お一人様" ライフという軽妙な言葉に置き換えられたかのような感触を抱いた。
もちろん、 "お一人様" ライフとは言ってみても、荷風自身もそうであったことが否定できないと思われるが、 "一人暮らし" が秘めた底なしの孤独感と寂寥感は、そんなに容易く受け容れられるものではなかろう。
先日、首筋・背筋を筋違いで痛めたのだったが、その際、ちょうど家内は実家の母親のケアに出向いて不在であった。よんどころ無く "お一人様" の生活になっていたわけである。
何がどうというのでもなかったが、その筋違いのために痛む部分に "湿布" でもしようと思ったのだった。が、残念ながらそれが "お一人様" 生活では不可能だということを思い知らされたのである。ただでさえ、肩の周りの柔軟性を欠いていて背中が痒い時などにも往生していた自分であったから、多少は挑戦してはみたものの、 "湿布" は諦めざるを得なかった。それを貼れば "ヒンヤリ" するはずの "湿布" シールの一片を見つめて悔しい思いをしたものであった。
やむなく、さほど効くとは思えない "塗り薬" のスティックを、 "孫の手" の先にガム・テープで固定させ、どうにか痛む患部の周辺を "撫でる" ようにして塗りつけることだけはできた。しかし、予想どおり効き目はなく、貼れば "ヒンヤリ" するはずの "湿布" が恨めしく思えてならなかった。
がその時、とあることを考えたのである。世間で、自分のような "境遇" の人はひょっとしたら少なくはないのかもしれない。高齢化時代であり、肩凝りや背中が痛むという人は先ず少なくない。その挙句に、老人たちが "独居生活" をしているケースとて少なくなかろう。とすれば、 "一人暮らし" では結局不可能であるに違いない "湿布" シール貼りで困っている人々はマイナーではない! と "経験者" は痛感したのだった。
そこから、前述の "孫の手" がヒントとなり、「背中 "湿布" シール貼り」器という商品化アイディアが俄かに思い浮かんだのであった。
ただし、モノは単純でも、意外と簡単ではないかもしれないとの懸念も生じた。片やヘナヘナかつベトベトで言うことを聞かない "湿布" シールであるし、当人の背中の方だって、患部というものがはっきりしているようではっきりしておらず、両者ともに "捉えどころがない" 代物だからなのである。
しかし、自分は、貼れば "ヒンヤリ" するはずの "湿布" を恨めしく思いながら、こうした類の小物ツールを見繕い、「 "お一人様" 生活用便利グッズ」とでも称して商品化するならば、案外好評を博するかもしれない、そうだ、これらは "温泉のみやげ物コーナー" かなんかに置いてもらったらさらに上々かもしれないぞ......、と。
が、家内が帰って来た時に、冗談でそんな話をしたところ、
「もう商品化されてます。何だったかの広告で見たもの......」
ということであった。な~んだ、そうか、と幾分がっかりしたものであった...... (2009.04.06)
何がどうというのでもなかったが、その筋違いのために痛む部分に "湿布" でもしようと思ったのだった。が、残念ながらそれが "お一人様" 生活では不可能だということを思い知らされたのである。ただでさえ、肩の周りの柔軟性を欠いていて背中が痒い時などにも往生していた自分であったから、多少は挑戦してはみたものの、 "湿布" は諦めざるを得なかった。それを貼れば "ヒンヤリ" するはずの "湿布" シールの一片を見つめて悔しい思いをしたものであった。
やむなく、さほど効くとは思えない "塗り薬" のスティックを、 "孫の手" の先にガム・テープで固定させ、どうにか痛む患部の周辺を "撫でる" ようにして塗りつけることだけはできた。しかし、予想どおり効き目はなく、貼れば "ヒンヤリ" するはずの "湿布" が恨めしく思えてならなかった。
がその時、とあることを考えたのである。世間で、自分のような "境遇" の人はひょっとしたら少なくはないのかもしれない。高齢化時代であり、肩凝りや背中が痛むという人は先ず少なくない。その挙句に、老人たちが "独居生活" をしているケースとて少なくなかろう。とすれば、 "一人暮らし" では結局不可能であるに違いない "湿布" シール貼りで困っている人々はマイナーではない! と "経験者" は痛感したのだった。
そこから、前述の "孫の手" がヒントとなり、「背中 "湿布" シール貼り」器という商品化アイディアが俄かに思い浮かんだのであった。
ただし、モノは単純でも、意外と簡単ではないかもしれないとの懸念も生じた。片やヘナヘナかつベトベトで言うことを聞かない "湿布" シールであるし、当人の背中の方だって、患部というものがはっきりしているようではっきりしておらず、両者ともに "捉えどころがない" 代物だからなのである。
しかし、自分は、貼れば "ヒンヤリ" するはずの "湿布" を恨めしく思いながら、こうした類の小物ツールを見繕い、「 "お一人様" 生活用便利グッズ」とでも称して商品化するならば、案外好評を博するかもしれない、そうだ、これらは "温泉のみやげ物コーナー" かなんかに置いてもらったらさらに上々かもしれないぞ......、と。
が、家内が帰って来た時に、冗談でそんな話をしたところ、
「もう商品化されてます。何だったかの広告で見たもの......」
ということであった。な~んだ、そうか、と幾分がっかりしたものであった...... (2009.04.06)
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